プロレス的発想の転換のすすめ(84)介護とプロレス
介護と観戦
今回は介護とプロレス観戦の話をしてみようと思います。
介護というのは親が生きている限りいずれほぼ万人に訪れるものであります。
私の周囲では、今のところ介護にがっつり関わっている人はそう多くはありません。
働きたくても
ですから、私が今のところその伝道師としての役割を担っています。
ただ、介護というのは実際にやってみると働く時間すら取れなくなってしまいます。
働きたくても時間的にも精神的にも余裕がなくなってしまいます。
いつ何時何が
1年365日24時間いつ何時、何が起こるかわからない状態の中で働くというのはなかなかしんどいことではないでしょうか?
実際私は入院中に、救急隊から母が道で倒れ、救急車で運ばれたという電話を受けたことがあります。
非常に苛酷
私個人はどうすることもできなかったのですが、結局ケアマネさんや遠方にすむ妹に連絡をとってもらって、しのぎました。
このように介護というのは非常に過酷でありますし、私のように一人で二人の親の面倒を見る事もありえます。
いつか終りが
こうなってしまいますと仕事どころではなくなってしまうわけです。プロレス観戦もしかりです。
ただ介護というのはいつか終わりが来ます。
安心して邁進
親の病状によっては施設に入ったりとかであれば、自分の中に余裕ができて仕事に向かう時間ができるわけです。
そうした時に改めて働ける場所があるということがあれば、安心して介護にも邁進できるのです。
現状は・・・
しかし、現状はそうではありません。これは非常に辛い事です。
プロレスの大会に関していえば、私が見に行こうがそうでなかろうが、続いていってます。
なくなったりはしない
それは裏返せばプロレスファンとしていつでも帰る場所があるという事になります。
やむを得ずプロレス観戦から離れざるを得なくても、決してプロレスはなくなったりはしません。
今自分がいる現在
もちろん私も介護に関わって見逃した大会については、未だに後悔が残ってもいます。
ですが、過ぎ去った時は元には戻せません。であるならば、「これからの時間をいかに後悔せずにすごせるかが、鍵になってくるでしょう。
そのためには、今自分がいる「現在」をよりよいものにしていかないと、その先の未来にも繋がらないと私は考えています。