プロレス的発想の転換のすすめ(11) みんなちがってみんないい
「個」をありのままに
今回は個性の話です。人間にはそれぞれ個性があります。
みんな違ってみんないい、という金子みすゞの「私と鳥と小鈴と」の詩の一節にあるように、「個」をありのままに認める大切さがたくさんの方に共感されています。
多様性は認識されにくい
しかし、ことばにすると簡単なようですけれど、現実社会では多様性はなかなか認識されにくい面もあります。
受け止め方の違いから不安や悩みを生み出しています。
人の数だけ無限大に
この詩の一節通りだとすると、人と人とのコミュニケーションは、人の数だけ無限大に存在することになります。
言葉は通じても気持ちが通じないのはそれだけでストレスになります。いくら頭では「人は皆違うものなんだ」と理解していても、です。
より楽になろうとする試み
そこで人間をタイプ別に分類し、それぞれに響く言葉をいくつか用意していくやり方を色んな方が工夫されています。
これによりコミュニケーション上の問題を解決し、より楽になろうとする試みですね。
決めつけない姿勢
気をつけておきたいのは、それが絶対的な答えではないということです。
「もしかしたら〜かもしれない」という「決めつけない姿勢」が大切になります。
個の違いを否定することに
そうでないと、分類に人を当てはめてしまった結果、個の違いを否定することになりかねません。
それは一番気をつけねばならないことです。
全てをプロレスといえる
プロレスの話にしてしまうと、デスマッチや格闘スタイル、空中戦など色んなスタイルがあって、全てをプロレスと一括りにできるのです。
ただ、同じプロレスだから、と言って各団体、ユニットや会社ごとにコミュニケーションがとれているかといえば、全然そんなことはありません。
そもそもプロレス界にはコミッション自体が存在していません。
なったもん勝ち
それは日本に限らずどこの国でもそうですね。唯一メキシコがライセンス制をとっていますが、ほかの国はほぼ「なったもん勝ち」です。
私の個人的な意見ですが、全日本プロレス時代の大仁田厚は素晴らしいプロレスラーでした。
優秀なアイディアマン
しかし、私はFMW以降から現在の大仁田厚は優秀なアイディアマンであったと考えています。
なぜなら、全日本を引退した原因になっている膝の故障を大仁田は武器に変えたからです。
従来とは違う形
もしライセンスがあるなら彼は引退を余儀なくされたはずです。ろくに練習できる身体ではないのですから。
しかし、従来のプロレスとは違う身体の使い方をすることで、大仁田はのし上がりました。
受け身をとる代わりに
私が思う大仁田流デスマッチは、ハデな受け身をとることで響くマットの音のかわりに爆破音を鳴らし、膝に負担がかかるロープワークをしなくていいように、ロープの代わりに有刺鉄線を巻き、受け身をとるかわりに身体に傷を刻んでいきました。
今でも大仁田流デスマッチはノーマルなスタイルのプロレスラーからは「我慢比べ」と揶揄されることも少なくありません。
ものは考えよう
しかし、ものは考えようで隙間産業だったデスマッチに活路を見出したことで、プロレスにデスマッチ路線ができあがったのですから、一概に悪いとも言えません。
そして大仁田が電流爆破の特許をもっていることで、特許料のかからないデスマッチを各団体が工夫し始め、そこにノーマルなスタイルのプロレスもできる選手が参入して来るようになりました。
一方で個性を封じ込めてしまう
こうなってくると、デスマッチファイターが普通のプロレスができないという揶揄も当てはまらなくなってきています。
このデスマッチやインディの独自路線、あるいはWWEのようなスポーツエンターテインメントまで幅広くなりすぎたプロレスにライセンスを作るというのは一方でその個性を封じてしまうリスクも伴っているわけです。
話が通じるとは
プロレスラー同士でもそうですが、もともとのベースが同じだからと言って、話が通じるとは限らないわけです。
むしろそれが当たり前だと認識したら、気持ちが多少楽にはならないでしょうか?
人はわかりあえないから
「同じ言語をしゃべる=わかりあえる」という間違った認識を外すだけでも結構心理的には楽になれると思うのです。
人はわかりあえない、だからこそ理解しようとつとめるのではないでしょうか?