プロレス的発想の転換のすすめ(109) 生き様を綴るプロレス
己を語るプロフィールの力
今回は、プロフィールとプロレスのお話です。
自分が何者かを紹介するために、私は自身のブログに非常にボリュームのあるプロフィールを掲載しています。
長文に込めた熱い想い
正直なところ、あまりにも長すぎて「最後まで読まれないのではないか」というジレンマも抱えています。
しかし、それだけ語れる内容があるからこその長さです。WWEのトップスターであるジョン・シナ選手が、リング内外で常に「自分は何者か」を全力で証明し続けてきたように、私もまた、自身の軌跡を言葉にすることに妥協したくないのです。
万人に受け入れられずとも、刺さる人には深く刺さると信じているからこそ、あえて短く削ることはしていません。
山あり谷ありの人生
人間、長く生きていれば、それなりに山あり谷ありの局面があります。
私は、その浮き沈みのある生き様こそが「プロレス」そのものであると考えています。
不安も恐怖も楽しむ
長いこと谷の状態(不遇の時代)が続くと、「自分に再び山の状態が来るのか?」と不安になります。逆に、頂点へ登り詰めた感覚があると、今度は転落することに恐怖を感じます。
しかし、そうした感情の揺れ動きも含めて楽しめたら、それが一番いいですよね。
仲間の死を悼む同窓会
話は変わり、数年前、旧「週刊プロレス」投稿常連会『プレッシャー』のメンバーが久々に博多に集結し、賑やかな時間を過ごしてきました。
かつての会員であり、亡くなられたブルース・ブロディさんを偲ぶという名目でしたが、はっきり言えば楽しい同窓会でした。
歳月が紡いだ同志の絆
皆それなりに老け、家庭を持ったり、プロレスから離れたりと、時間の経過を感じずにはいられませんでした。
とはいえ、やはり同じ時代を過ごした同志との邂逅は、最高に楽しかったです。
過去を呼び覚ます刺激
基本的には「今を生きる」のが私のスタンスですが、それなりに年齢を重ねれば、たまには昔話に花を咲かせるのも悪くないでしょう。
実際、自分たちが若かった頃の話をするのは非常に刺激的ですし、同じ時を過ごしてきた仲間だからこそ共有できることがたくさんありました。
記憶を修正する大切さ
違う世代の人との対話も刺激的ですが、過去の記憶を呼び覚ますこともまた、自分を見つめ直す刺激になります。
私は記憶力には自信がある方ですが、それでも忘れていることや、自分に都合よく記憶を書き換えていた事実に気づかされました。
プロレスが結んだご縁
そうした思い出の修正ができたことは、大変ありがたいことだと感じています。
この縁を紡いでくれたのは、間違いなくプロレスです。山あり谷ありの人生の中で得た仲間は、どんな状況になろうと、決してなくなることはありませんでした。
悲しい別れがあったのも事実ですが、それすらも受け入れられたのは、プロレスという共通言語があったからこそです。
魂に刻むプロレスの文字
これら全ての出会いは、プロレスが結んでくれたご縁に間違いありません。
だからこそ、自分のプロフィールから「プロレス」の四文字は絶対に外せないのです。
人生には、どれだけ努力しても報われない瞬間や、すべてを失ったかのような深い挫折が訪れます。
挫折を越える真の強さ
しかし、ジョン・シナ選手のキャリアを振り返れば、彼も最初から無敵のヒーローだったわけではありません。
デビュー当初、キャラクターが定まらず解雇寸前まで追い込まれた時期がありました。
彼はそこで腐ることなく、ラップという独自のスタイルを武器に「今、自分にできること」を必死に模索し、自らの居場所を勝ち取ったのです。
彼が掲げる「Never Give Up(ネバー・ギブアップ)」とは、単に諦めないことではなく、たとえマットに沈み、会場中からブーイングを浴びる逆境にあっても、再び立ち上がり、前を向く勇気を指します。
挫折から立ち直るプロセスこそが、その人の「正体」を形作るプロフィールになるのです。
刹那の闘いに今を生きる
私たちは常に「今を生きる」ことを強いられています。
心理学的に見れば、人は過去の後悔や未来の不安に支配されがちですが、リング上の選手たちは、その一瞬の技の応酬に全存在を賭けています。
尊い「今」
ジョン・シナ選手が難病と闘う子供たちとの交流において、世界最多の記録を持つほど誠実に「今」を捧げているのは、明日の保証がない子供たちにとって、彼と過ごす「今」という時間がどれほど尊いかを知っているからでしょう。
かつてプロレス界で起きた数々の悲劇や予期せぬ事件は、私たちに「永遠などない」という残酷な真実を突きつけました。しかし、だからこそ私たちの心に深く響くのです。
「次がある」とは限らない
不慮の事態が隣り合わせのプロレス界だからこそ、ファンもまた「次がある」とは限らない刹那の闘いに魂を震わせます。
私たちも同じです。
過去の思い出や挫折を大切に抱えながらも、最後はマットを叩いて立ち上がるレスラーのように、この不確かな現代というリングで、泥臭く「今を生きる」姿を刻み続けていきたいのです。
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