私的プロレスイベントレポート・全日本プロレス小倉大会打ち上げ(2011年5月27日:プロレス居酒屋がむしゃら)
貸し切りの文字
全日本の小倉大会終了後、後片づけで残るがむしゃらのみなさんに礼をいって徒歩で来た道を戻っていった。
がむしゃらの前に行くと「貸切」の文字が。道理でちょうちんがでていたのに明かりが灯ってないと思った。
入ってびっくり
今回はあらかじめ参加する旨を伝えていたので、迷うことなくはいって・・・びっくり!
さっきまでVMと死闘を繰り広げていた久保選手が普通に働いている!
レスラーは凄い
そういえばアステカさんには挨拶したんだけど久保さんには挨拶できなかったなあと思っていて「ダメージでかかったのかな?」と思っていたらとんでもない!!これはびっくりだった。
普通試合があるときは店はお休みしてるとばかり思ってるから^^いやプロレスラーは凄いよ!!!!
テーブル席へ
マスターから選手がこられる席の方に移動するよう勧められてテーブル席へ移動。
試合にでてないブル健さんやジャンボ原さん、そして試合に出てた林さんや雄大さんらもいて一気ににぎやかになったが、これだけ選手がいてもやっぱサムライが映ってるとそっち見てしまうのが性というかなんというか。
ビチーッっと!
そうこうしる内にゲスト登場!なんともとWCWのカズ・ハヤシ選手ともとWWEのKENSO選手が登場!
いきなり「ビチーッっと!」と大声でポーズ決めるkENSO選手、序盤からもうエンジン全開!というか普段からこんなんなんだ・・・・
選手より試合を
しかし世界の大団体でトップクラスにいた二人が席につくだけで壮観!
だったはずなのだがすぐ近くに選手がいてもつい試合があるとそっちを見てしまう我々^^
知っている選手が
まあ、別にゲスト無視してたわけではなくちゃんとお相手してた方がいらしたので安心して試合見ていたんだけど^^
やっぱ澤選手や大谷選手など知ってる選手が出て来ると話が盛り上がった。
震災のこと
勝手にプロレス談義してる中で食事がすんだお二人が移動してきてくださった。
ここで色々貴重な話が聞けたんだが、一つだけやっぱ触れとかないといけないのが、全日勢全員が被災した東日本大震災の事。
実際体験された話は生々しすぎてさすがにぞっとしたが、ここに意外なエピソードが!
神がかっていた
なんとKENSO選手が待ち合わせに20分遅れたために全員が助かったというのだ!
本人いわく「30年ぶりにした」遅刻はまさに「神がかっていた」!「普通遅れるなら後から車とかでおっかけるでしょ?でも待ってくれっていうんですよ。それも先輩には言い出しにくいんで後輩選手のケータイに電話して、後輩からKENSOさん遅れるそうです、っていわれたら待つしかないでしょ」とハヤシ選手。
助かった
ところがもし定刻通りに出ていたら一番被害のあった石巻までバスが入っていたというのだ。
だから行きの高速の上で震災にあい、命が助かったという。
30年ぶりの遅刻
まさに神がかった男!ケンソー・スズキ!しかし、KENSO選手の中ではこの神がかった部分ではなくなぜか「30年ぶりに遅刻した」という一件の方が気になってたらしい。
というのも根っからの体育会系で骨の髄まで礼儀がしみこんだKENSO選手にとっては諸先輩方を待たせたということに罪悪感があったらしい。
絡みづらい
でその罪悪感も途中からどっかいってしまい酔いにまかせてやたら「30年」を繰り返し、時折大声で「からみづらい!」「気持ち悪いんだよ!」を繰り返す・・・ってさっきこれリングでやってたじゃん^^
しかし体験者の話はやっぱ迫真に迫っていた。やっぱ聞いてみて改めて普通に生活できる有難さをかみしめた。
ただ、やりたいだけ?
KENSO選手のおかげで場が本当に面白い空気に包まれて、明日も仕事があるTA-KI選手ら先に上がる人たちが順に記念撮影をしていくことに。
ここでもいちいち「びちーーっと!」を決めるKENSO選手^^サービス精神もあるんだろうけどなんかここまで連呼するとただやりたいだけのような気も・・・^^
船木選手と諏訪魔選手も
ハヤシ選手は所要で先に上がられるという事で先に記念撮影とサインをお願いしていただいた。
でこの後、諏訪魔選手と船木選手が来られるという、KENSO選手は居残り。
KENSOワールド
いつの間にかマスターがプレゼントしたがむしゃらTシャツを着込んでさらにKENSOワールドは全開になっていく^^
まもなくこられた諏訪魔選手は体調不良という事で長居はできないということだったので短い滞在になったがこちらも記念撮影とサインをいただいた。
時間は既に
ちゃんと43代三冠チャンプとしてサインを入れてくれた。でもKENSO選手もそうだが諏訪魔選手もでかい!
諏訪魔選手が退席されて時間はすでにあけて翌28日になっていたがマスターから「まもなく船木選手がこられますので」という事で待つことに。
船木選手登場
で待つことしばし、待望の船木選手登場!
・・・するやいなやいきなり顎を突き出して「元気ですかー?」とわざわざ立って迎えるKENSO選手に苦笑する船木選手^^
何でもお話しします
やっぱ船木選手はオーラが違うというかなんか緊張感が半端ない!「何でもお話しますよ」ということだったんで必死で話題をつなげたがどうも最初はオーラに気押されされ気味になってしまう。
ところがこの危機を救ってくれたのは神がかった男・ケンソー・スズキ!
飽きないおもちゃ
内容は書けないのだが奥さんが絶対白塗りで現れかねない行動や言動を連発しはじめるKENSO選手をにこにこ眺める船木選手。
まるで飽きないおもちゃを見てる子供のようだった^^KENSO選手が色んな人に好かれてるのはなんとなく接してみてわかったがずっと行動を共にしてる船木選手が見ても飽きないんだなあ^^
バカにはしてない
もっともバカにしてるわけではなくちゃんと「彼は自分が優勝できなかったヤングライオン杯優勝してますからね。」
これを見てちょっとほっとしたわれわれはやっと少しずつ話を聞かせていただいた。
放送されたことは
禁句かなと思ってたヒクソン戦から新人時代や今のプロレスに取り組んでる姿勢や意気込み、格闘技をプロレスの違い、極めて評価の高い永田選手の話、デビュー当時から
UWF、藤原組、パンクラス時代から映画の話など本当になんでも話して下さった。
実は、クロスネット用に録画され、一部で放送された船木&野上対中野&安生のこともご存じで、放送されたことは「嬉しかった」のだそうだ。
地名は覚えていた
やっぱ船木選手からも震災の話は聞かされたが本当になまなましい。青森出身の船木選手の地元は幸い被災が軽微だったそうだが。
小倉は「地名はおぼえていました」というくらい久しぶりだったらしい。
真面目に
ここでKENSO選手とマスターが退席。
船木選手はしばらく残って我々に色々話をしてくださった。
いや、船木選手は本当に今まじめにプロレスと向き合って本気でとりくんでいるんだなという事がよくわかったし、なにより面白かったのが新日の暴動話!!!
暴動はおこるもの
なんでも全部の暴動時にすべて会場にいらしたそうで「あの頃は暴動がおこるものだと思ってましたね」というから驚きだ!
いや、あの頃のきな臭さは確かに一種異様だったし!!
維新力対組長戦
しかし現場にいた人が語ると凄いなあと思った。書けないけど裏話も聞かせていただいたし^^
個人的には藤原組長の話が出たところで便乗して、SWSで組まれていた組長対維新力戦の「謎」をぶつけてみたら明確な回答をいただけた!
そういう事実は
その当時のプロレス雑誌に大相撲出身の維新力選手対策として、組長がス猛特訓をしているとあったのだ。しかし船木選手いわく「そういう事実はありません」とのこと。
しかし、試合では組長が相撲勝負を挑んでいたので「ではあれは組長のファンサービスなんでしょうか?」と質問すると、船木選手曰く「そう考えて間違いないと思います」と断言された。
長年のもやもやが
長年のもやもやがこれですっきりした。これが一番うれしかったかなあ。
退席時間になったので記念撮影とサインをいただいて船木選手とはお別れ。
濃い時間だった
いや~しかし一気に気が抜けたというか、本当に船木選手がかえられて一気に弛緩した我々はしばしぐだーっとしていたが、とっくに閉店時間は過ぎてるので後片付けを手伝い、朝から仕事という林選手とともに山口県民は退席^^
家に帰りついたのは午前4時・・・いやあしかし濃い時間だった。
おかげでこの後2日ダメ―ジが抜けなかったが・・・・いい体験をさせてもらった。