[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㉒ディック東郷

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BUSHIマスクで再登場

今回は、2020年7月12日、新日本プロレス大阪城ホール大会「DOMINION in OSAKA-JO HALL」のメインイベントに、BUSHI選手のマスクを被って乱入。

EVILの新しい「パレハ」(パートナー)であると紹介され、BULLET CLUBに加入したディック東郷選手のご紹介です。

厳鉄魁として

東郷選手は高校卒業後、FMWに入門しましたが1~2か月で退団。その後ユニバーサル・プロレスリングに入門します。

1991年6月5日、ユニバーサル・プロレスリング後楽園ホール大会で巌鉄 魁(がんてつ さきがけ)として対MASAみちのく戦でデビュー。秋田県出身ということから、なまはげの格好で入場していました。

凱旋はマスクマン

1992年、メキシコ遠征に行く。同年、ユニバーサル・プロレスリングの末期に日本にSATOで凱旋帰国。だがシリーズのギャラが出なかったため、再びメキシコ遠征に行きます。

1993年4月、日本に凱旋帰国して、みちのくプロレスに覆面レスラー「SATO(サトー)」として参戦。同年、みちのくプロレスに入団。12月10日、スペル・デルフィンとのマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者マスク剥ぎマッチ)に敗れてマスクを脱ぎました。

後年、復活したSATO

1994年3月4日、デルフィンとのマスカラ・コントラ・カベジェラ(敗者マスク剥ぎ or 髪切りマッチ)に敗れて頭を坊主にしました。9月15日、獅龍、テリー・ボーイと共にルード軍「平成海援隊」を結成しました。

そしてSATOは、2007年9月24日、覆面MANIA新木場1stRING大会で約13年ぶりに復活。

2008年7月13日、みちのくプロレス問屋町ビッグサイト大会「15周年ノスタルジックツアー」にも参戦しています。

 

WWFを経て・・・

1996年1月10日、怪我からの復帰を機にリングネームをディック東郷(ディックとうごう)に改名と同時に軍団名を「海援隊☆DX」に改名。1998年3月、WWFと契約しますが、ビンス・ルッソーとそりが合わず、1999年3月、WWFを退団し、4月には日本に帰国後、大阪プロレスに入団します。

2004年8月、みちのくプロレスに参戦してルード軍「F.E.C(ファー・イースト・コネクション)」を結成。10月、プロレスラー養成所「SUPER CREW」を設立。

HOUSE OF TORTURE

また新日本プロレスに参戦してC.T.Uとブラック・ニュー・ジャパンと共闘しています。これが最初の新日本登場でした。

2021年には、EVIL選手、高橋裕二郎選手、SHO選手と組んで、BULLET CLUB内に「HOUSE OF TORTURE」(拷問の館)というユニット内ユニットを結成。賛否(ほとんど否ですが)を巻き起こしています。

生涯ヒールを貫くディック東郷選手の今後が気になりますね。






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