プロレス的音楽徒然草 I my me mine
マシン軍団の誕生
今回はプロレスラーの入場テーマ曲ではないのですが、とあるプロレスラー繋がりで、POLYSICSというバンドの「 I my me mine」をご紹介します。
その前に、先ごろ、新日本プロレスに所属されていたスーパー・ストロング・マシン選手が現役引退を表明しました。マシン選手は初登場時はマシン1号として、ストロングマシン軍団の一員として、新日本プロレスに登場しました。このマシン軍団は一説にはキン肉マンを実際に登場させようとしていた新日本プロレスが諸般の事情で、実現しなかったための、苦肉の策だったと言われています。
全日へ移籍
しかしながら、将軍KYワカマツマネージャー率いるマシン軍団は悪役人気を獲得し、選手の大量離脱で窮地に陥った新日本を「ある意味」救いました。この時、ストロング・マシンは、全員赤のマスクで赤いワンショルダーのコスチュームで統一されていたため、タッチしなくても中身が入れ替わるような反則をして、ますます当時の観客からヒートを買いまくりました。
のちに、マシン1号はスーパー・ストロング・マシンを名乗り、マシン軍団から離脱。しばらくスーパー対残党のマシン軍団との抗争を繰り広げていましたが、カナダ・カルガリー時代の盟友・ヒロ斎藤選手と、高野俊二(のちの拳磁)選手と共に、カルガリー・ハリケーンズを結成(ちなみにカルガリー・ハリケーンズは現在でも盛んなユニットの元祖的チームでした)し、そのまま全日本プロレスに移籍してしまいました(後年、マシン・斎藤選手は長州力選手と共に新日本にUターンしてます)。
世界的知名度を得て・・・
ちなみにスーパー・ストロング・マシン選手の入場曲として有名な「ハリケーンズ・バム」はもともとカルガリー・ハリケーンズのテーマ曲で、ユニット解散後、新日本に戻ってからはスーパー・ストロング・マシン選手のテーマ曲におちついたといういきさつもあります。
さて、こうして抗争相手を失ったマシン軍団は、有名無実化してやがて消えていきます。
マシンの世界進出
しかしその前に、国際プロレス時代からワカマツマネージャーと親交のあったアンドレ・ザ・ジャイアント選手が、ワカマツさん経由で許可をとり、当時新日本プロレスと提携していたWWF(今のWWE)で、ジャイアント・マシン、スーパー・マシン、ハルク・マシンと言った、体格見たら正体モロバレのマスクマン軍団を登場させたことで、一躍世界的知名度を得てしまいます。
ちなみに、ジャイアントとスーパーは新日本にも登場してますが、正体は言うまでもなく、アンドレ選手と、マスクド・スーパースター選手で、ハルクは当時からWWFのエースになっていたハルク・ホーガン選手です。こちらはマシン軍団と違い、入れ替わりはできませんでしたが、正体モロバレのマスクマンという新しいジャンルを生み出しました。
「もう一つの」ストロングマシン
現在DDTで活躍しているスーパー・ササダンゴマシン選手は、おそらくこの「正体モロバレ」系の継承マスクマンではないかと私は思います。
さて、マシン軍団はこうして歴史の中に埋没していったわけですが、私も知らないところで、「もう一つの」ストロングマシンが生まれていたのです。
親子マシン
それが今回取り上げた I my me mineのプロモビデオで、ダンスを披露しているストロングマシン2号さんだったのです。オリジナルには「・」が入りますが、ダンサーのストロングマシン2号さんには「・」表記がないのが、見分け方?です(笑)映像をみてもらえればわかりますが、そもそも覆面姿ですらありません(笑)
この方、調べてみたらダンサー以外にも、僧侶の肩書きまであって、しかも見ての通り、女性なのです。ちなみに1号は同じく僧侶をされているストロングマシン2号さんのお父さんらしいです(笑)
I my me mineという曲はもともと韓国のテクノユニット4minuteの曲なんだそうです。
ダンサーのストロングマシン
ニコニコ大百科によると
(I my me mineの)PVは”STRONG MACHINE 2 ver.”と”All Star ver.”の2種類が存在。当初はAll Star ver.のみを製作する予定であったが、メインダンサーであるストロングマシン2号がまるまる1曲分のダンスを考えたため、急遽、ストロングマシン2号のソロダンスのみを収録したSTRONG MACHINE 2 ver.を撮影することとなった。その内、STRONG MACHINE 2 ver.が評判を呼び、国内ではSPACE SHOWER Music Video Awards’06 BEST CONCEPT VIDEOを受賞。ヨーロッパでもサビをオーディエンスが合唱してくれるほどの人気曲となった。
とあります。
「もう一つの」ストロングマシン
プロレスファンでもどうかすると忘れている「本家2号」の存在を軽くぶっちぎる、ダンサーのストロングマシン2号さんは、実は世界的知名度のある方だったのです。
しかし、歴史に「もしも」があったとして、この時まるまる一曲分のダンスを、ストロングマシン2号さんが考えなかったら、もしかすると本家「ストロング・マシン2号」同様、歴史に埋没していたかもしれないのですから、世の中わからないものです。
本当はスーパー・ストロング・マシン選手について語る予定が、大幅に路線変更してしまいました(汗)しかし、思わぬ副産物で、こうして知らない世界の知らない曲を知ることができたのも、ある意味プロレスのおかげなので・・・と強引にまとめて本稿は終わりにしようと思います。