プロレス的発想の転換のすすめ(103)脚本とプロレス
その通りの人生
今回は脚本とプロレスのお話です。
人間は幼少期に自分自身の脚本を描き、その通りの人生を生きるとされています。
親からのメッセージ
これを人生脚本といって、カナダ出身の精神科医エリック・バーンが提唱しました。
この人生脚本の大部分は、親からのメッセージにより決定されます。
無意識のうちに
要するに人は無意識のうちに生き方を決め、それに従い行動するということです。
エリック・バーンが提唱した自己理解を深めること、対人関係トラブルの原因特定と改善を目的とした考え方が「交流分析」です。
正確に大きく影響を
交流分析の中で「性格に大きな影響を与えるもの」として重要視されるのが「人生脚本」なのです。
小さな子供は、「がんばらないと自分は存在価値がない」「両親の言うことは絶対で喜ばせることが自分の役割」と感じます。
トラウマ体験が
それは大きなプレッシャーになってしまうと常に心が休まらず、大人になっても不安な生活を強いられます。
負の感情を伴う人生脚本は、トラウマ体験がもとになっていることがあります。
書き換えは容易ではない
トラウマの原因となった事象にアクセスして経験ごと消してしまえば、それ以上苦しむことがなくなりますが、無意識に形成される人生脚本を書き換えるのは、容易なことではありません。
私もこの人生脚本には随分てこずり、何十回・何百回ものカウンセリングを受け続けて、ひとつずつこのトラウマを外して、「生きやすさ」を手に入れてきた経験があります。
長男として
ちなみに私の人生脚本のひとつは、まさに先ほどいったように「両親の言うことは絶対で喜ばせることが自分の役割」だったのです。
私は長男として生まれ、家を継ぐことを両親に強いられて生きてきました。
脚本があれば楽?
今でこそ自分の人生は自分の好きなように生きたらいいと教える親御さんも多くなりましたが、それこそ昭和の時代は私の両親のような考え方が、まだまだ一般的だったのです。
さて、最近は脚本がある出来レースみたいな事をたとえて「プロレス」と表現されているのを多く見かけます。
あたかも脚本さえあれば楽ができるかのような言い方ですが、人生脚本の例をみればお分かりの通り、脚本があっても楽ができる訳ではなく、むしろ逆の場合が多いともいえます。
手加減できない
たとえば、不沈艦スタン・ハンセン選手のぶっとい腕から繰り出されるラリアット、そしてそれを正面から受け切るプロレスラーのすごみ。
ハンセン選手のぶっとい腕は思いっきり振りぬかれているので、手加減とかができるレベルではないことは、一見すればわかることです。
説得力の生まれる瞬間
このように一例をあげれば、これこそプロレスの魅力であり、プロレスに説得力が生まれる瞬間なのです。
これがあるからこそ、観客は熱狂していくのです。
脚本の存在だけでは
しかし、普通の一般人が同じ事をやっても子供の遊びにしか見えないでしょう。
脚本の存在だけでは語りつくせない深くてみえない底なし沼…それがプロレスなのです。