怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(210) 最終章「引き算の生き方」⑦
簡単に錆びたりしない
長い間続けてきた当ブログの役割もそろそろ終盤に向かいつつあります。最後はここまで気づいてきたことで、私の何が変わり、どこへ向かおうとしているのか?そして、最近私が提唱している「引き算の生き方」とは何かを可能な限り説明したいと思います。
この間久々にカウンセリングしました。正確には金取れるレベルではないんで、カウンセリングのさわりのさわりを、食事終わりでお試しにやってみたら、結構喜んでもらえた、とうだけの事です。
実際、カウンセリングとして徹頭徹尾やってしまうと、相手も構えちゃうし、感じたり考えたりする習慣のない人にはしんどいはずなんです。だから「さわり」だけなんですね。
今まで私は、カウンセリングって、問題が解決するまでがっつりやってナンボ、という考え方だったんですが、これも引き算の生き方をあてはめて、コーチングカードを会話の続かない相手に試してみた、というわけです。実は前からカードをカウンセリングではなく、コミュニケーションとるためだけに使いたかったのですが、思ったより上手くいきました。
というか1年以上もとのルールでカウンセリングしてなかったので、もとのやり方忘れていたというのもあったんです。まあ、自分ルールでもそれなりに形にできちゃったので、身に染みついた技術は簡単に錆びたりはしないこともわかりました。これは怪我の功名というやつです。
反応があっただけで十分
ちなみに今回適用したルールとしては、
①私がカードに触らない
②シャッフルするのも、カードをひくのも相手。私はカードにさわらない
③私は出された札を読み上げるだけ(説明は付け加えますが)
という三つだけです。パスはアリで、回答が出せたらそのカードは横に置き、パスしたカードと並べておくだけです。回答がでたカードは「解決済み」、パスしたカードは「未解決」とみなし、未解決のカードに書かれた文言は「宿題」にしてもらいました。
お相手の方は、以前から交流があったのですが、遠方なんでなかなか対面で会う機会がありませんでした。とはいえ、いきなり始めても「なんのことやら」でしょうから、少しずつ情報を小出しにして、当日をむかえました。
カードに書かれたメッセージをみている様子を観察していると、結構真剣に考えていましたね。口数の少ない人が結構話してくれたんで、私的にはよしとしたいです。宿題も前向きに解決しようとしてくれたようなので、個人的にはそれがなんであれ、「問題に向き合う」一歩を踏み出してくれたものと解釈しました。
そもそも問題があるかないかわからない相手にコミュニケーションしてもらうのが私の目的でしたから、反応があったというだけでもう十分でした。だいたい高い金使って身につけたんですから、少しくらい試したとしてもバチは当たらないでしょう。
「何もできない人」ではない
「あれだけカウンセラーやカウンセリングをdisり続けておいて、どういうことだ?」とあなたは思ったかもしれません。
しかし、私が使うスキルは私が身につけたものです。どう使おうが私の自由です。カウンセラーという肩書きも、カウンセリングという用法も、私には重荷になるだけで、普段は使いたくないから使わないだけです。
くどいようですが、私の身に染み付いた技術は私のものです。私がどう使おうが自由です。使える時に鞘から抜いて錆びていなければよいのです。
案外、やってみたらスキルってそう簡単に錆びたりはしないもんだな、ということはわかりました。あとは、使う人間の加減の問題なんですね。がっつりやりたければやるし、そうでないなら小出しにするだけです。これも引き算ですね。
そもそも人の話を聴くという心理療法も日常茶飯事で無意識レベルで応用してますから、使えるのであれば使う、使いたくないなら使わない。これでいいと私は思います。多分未だにカウンセラーを名乗っていたら、自分のスキルで自分がつぶされていたかもしれません。
そもそも「何もしない人」は「何もできない人」ではないのです。かつて履歴書に書く資格がなくて自信もなかった私は、履歴書を埋めることばかりに執着してきました。それは「何もできなかったから」でした。しかし、実際履歴書を黒くできるだけの能力がある今は、無理して全てを駆使する必要性を感じていないだけなのです。