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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(209) 最終章「引き算の生き方」⑥

一人で静かにしていたい

長い間続けてきた当ブログの役割もそろそろ終盤に向かいつつあります。最後はここまで気づいてきたことで、私の何が変わり、どこへ向かおうとしているのか?そして、最近私が提唱している「引き算の生き方」とは何かを可能な限り説明したいと思います。

最近、私が引き算したものの一つに他人との交流があります。正確にいうと、全く孤立するわけではなく、過度な交流を控えるようになった、ということです。今回はこのお話をしていきます。

この結論にたどり着くまでは結構回り道をしました。そもそも幼稚園に入る前からひとり遊びは苦ではありませんでした。それが周りの大人や学校の先生に集団生活を強いられる中で、止むを得ず他人と交流をしてきたわけです。

幸か不幸か社会人として対人スキルだけは磨かれましたので、交流に関しては困ることはありませんでしたが、実はずっと人と関わるたびにモヤモヤしたものを感じてきました。本当は自分がどうしたいのか、というと人と話すより一人で静かにしていたいんですね。それは幼い頃から一貫していて、実は今もそんなに変わっていなかったのです。

常にモヤモヤ

幸い、自分が主役の人生を生きている感覚が身につき始めてからは、関わりたい時に関わって、関わりたくない時は一人でいる事が普通になってきました。でも昔はそうではなかったのです。

どういう事かというと、一人でいても大勢でいてもモヤモヤしていたのです。一人でいる時は、仲間に入りたいようなそうでないような。かといって大勢の中にいても、自分だけが孤立しているかのようは感覚がずっとあって、常に居心地が悪かったわけです。

しかし、もともと自分はどうしたいのか、を考えていくと、1か0かではなく、やりたい時にやりたいことをしていくのがベストかな、と思うようになって、割と楽になれました。

だから、昔みたいにあちこちの交流会に顔出しして人脈づくりをすることもしなくなりました。逆に趣味の話ができそうとか、よりリラックスできるとか、自分にとってメリットのある交流を選んで関わっています。

心地悪い交流がなくなると

交流といえばリアルでは問題ないのにSNSではウザくなる友人をどうしようか、と言うのも長年の懸案でした。

これも結局「SNSで繋がらなければいい」という結論に至ってからは、リアルで付き合いのある人でも、バシバシ引き算してます。だから気に入らないコメントでもしようもんなら容赦なく交流を断ち切ります。

確かに、一時期は関係性を断ち切ることで、リアルに対面した時に気まずいのではないか?という懸念はずっと抱いていました。しかし、SNSの場合「フォロー外し」という形で、友達のまま距離を置く便利な機能があります。しかもそれは多くのSNSでは、相手に知られずにできるわけです。

そもそも見たくない投稿が目についてしまうのは、私の問題です。とはいえ、では不快にならないように自分を変えればよいのか?というと、そうではありません。

もし、相手の考え方、感じ方に全てを合わせてしまったらどうなるか?それは自分で自分の主体的な生き方を放棄していることに他なりません。自分が主役の人生を生きるには、他人に合わせてばかりいては、いつまでたっても自分の人生を生きられないことにもなります。

よって不快な投稿は目に見えないところに追いやるという形で私は私の人生を守っているわけです。このように引き算しだして気がついたのですが、心地悪い交流がなくなると、自分の周りには心地よい交流しか残らなかったのです。この体験もあって、今の自分には「引き算」があっているという確信を得たのです。

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