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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(11)私がジャニーズをキライな10の理由その1

2018/03/29

 ジャニーズという「ひと塊」が苦手

このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。

そもそも私は日本式の集団というものが苦手です。苦痛といってもいいくらいです。属するのも、接するのもキライです。だから仲間のよさなんて到底理解できないし、したくもありません。

最小単位と思われる家庭ですら嫌悪感があるのに、他人と一緒に生活するなんてゾッとします。自分のプライベート空間には誰もいれたくありません。自慢ではないですが、私は来客を自分の部屋に入れたことが一回しかありません。プライベート空間に踏み込まれるとどんな好きな人でも不愉快になるからです。

もちろん2018年に越してきた新居に入ったことがあるのは、回線工事にきた業者さんだけです。近しい人にも住所すら教えていませんし、引っ越したことを知っている人間すら限られていますからね。

さて、本題です。今回の主題にしたジャニーズですが、対象は個々のタレントでも特定グループでも事務所でもありません。ジャニーズという「ひと塊」が私は苦手なのです。それをこれからお話していきます。

先ほども言いました通り、私はそもそも集団が苦手です。個々のひとには好感をもちますが、それが集団になるともうダメです。集団という数はそれ自体が暴力的に私は感じます。だから私にとってはワンピースもジャニーズも集団という暴力的な存在であることには変わりないわけです。このあたりをもう少し詳しく考えていきましょう。

集団の正義が絶対なのか?

その前にこのタイミングでジャニーズを斬るということは、例の国民的アイドルグループの解散騒動に言及することになるかもしれません。しかし、それは実をいうと私の中では大した問題ではありません。この駄文をお読みのあなたには一大事かもしれませんが、私はあまり興味がありません。

なぜなら私の中では事件に対しては特別不愉快さを感じていないからです。自分の問題でないものは、私に変えることはできません。だから興味がないのです。

ジャニーズという集団に不快感を感じているのは私です。私の問題です。これをどうしたいかは私に決定権があります。他人にはありません。では私はジャニーズの何に不快感を感じているのでしょうか?

それはズバリ集団の暴力です。集団の正義が絶対で異論を差し挟む余地のない窮屈さです。例を一つ上げましょう。私は必殺シリーズのファンで一応最新作が出るたびにチェックするほどには好きでした。しかし東山紀之さん主演で復活したシリーズには違和感を感じたのです。それは2007年に必殺シリーズが復活してからずっと感じていたものでした。

普通番組公式ホームページにはキャストの写真が表にあって、ある意味番組の顔になっていると思うのですが、この復活した必殺のホームページには、当初東山さんの写真は一枚も使われていませんでした。あきらかにイラストだったのです。2018年になってようやくネットにジャニーズの顔写真が部分的に登場するようになりましたが、それまでは、あたかも出ていないか、さもなければひどい時は黒塗りにされていたのです。

必殺の顔でもある大御所の故・藤田まことさんですら、修正なしの顔写真でHPにでているのに、当時ははっきりいって著作権保護の名を借りた暴力だと私は感じました。

近年、SNSでも写真は文章以上に重要な伝達力をもちます。映像となればなおさらです。テレビ用番組宣伝のちょっとした予告動画でもあれば、発信力は相当高まるはずです。にもかかわらず、ジャニーズの論理が優先されたことに嫌悪感を感じずにはいられませんでした。

 集団の暴力に加担している

昨今批判の高いマンガの実写モノには大概ジャニーズが絡んでいますが、タレント個人が仮にどれだけ頑張ったとしても、これでは結局台無しにされてしまうのではないでしょうか?

必殺シリーズでは藤田まことさん=中村主水の後継者という扱いで、東山さん演じる渡辺小五郎は登場するわけですが、正直東山さんは役者として真摯に必殺シリーズに向かい合っている印象があったので、このホームページの扱いには失望しか感じませんでした。

とはいえこれを事務所の方針のせいだ、タレントは悪くないと言い切ってしまうのにも抵抗があります。いかに強大な勢力であり、逆らったら仕事を失うかもしれない事務所の方針だとして、それに異を唱えないのでは、結局集団の暴力に加担しているのと同じになります。

もっともタレントさんにだって生活はあるでしょうし、食っていくためには仕方ない部分もあるでしょう。しかしこの違和感をなかったことにすることは私にはできません。仮に今のジャニーズの経営トップが総入れ替わりしたとしても、同じことをしていたら意味がないのです。

この行き過ぎた著作権ビジネスで誰が得をしているのでしょう?タレントは自身の仕事を発信する機会を奪われ、制作局にとっては番組宣伝の足かせとなっています。過剰に保護された著作権で得られる収入がそれほど巨額なものでしょうか?正直理解に苦しむところです。このホームページを見て以降、私はほとんど新作の必殺は見なくなりました。

貴重な時代劇でもありますし、スペシャルでも続けてくれることはありがたいのですが、やはり中村主水の替えは誰が演じても不満しか出てきません。ましてや主要キャストもジャニーズで固められていると、なんか絵面もイケメンばっかりで、画面的にも面白くありません。

 歴史あるシリーズを台無しに・・・

集団ヒーローものの良さは様々な個性が集まって活躍するところにあるので、体形や年齢、性別など個性の違ったキャストがたくさんいてくれた方が面白いと思っています。必殺シリーズはその点、非常に個性的な「仕事人」(シリーズによって呼び方は変わりますが)が彩る物語に魅力があるわけで、イケメンばかりを配役したらある意味、その価値さえなくなってしまうわけです。

それではもはや見るに値しません。ジャニーズという集団が振りかざす正義が、歴史ある必殺シリーズを台無しにしたという点で、私はどうしても寛大な気持ちになることはできませんでした。

2018年になってようやく一部のタレントを皮切りに、ジャニーズのタレントの「ネットデビュー」が始まり、この流れはもはや止められないだろうと私は思っています。そもそもテレビを見ない層、あるいはテレビすらもっていない私のような人間は今後増えていくことでしょうから、少々遅きに失した感は否めませんが、報道や主にテレビ局などと大手芸能事務所が忖度したズブズブの関係性も、テレビの優位性が低下していくにしたがって変わらざるを得ないでしょう。

最後に言っておきたいのは、私はジャニーズに感じている自分の不愉快さが何であって、どうしたら解決しているのかということにしか関心がありません。事務所が方向転換しようが、誰それが解散した、独立したとかいう問題は全く興味はないのです。あくまで自分の中にある不快感と向き合って、どうしていったら楽になれるのかを考えていくためにこのブログを書いているだけなのです。

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