怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(183) 自分の問題と向き合うための10の闘い(83) 残された時間③
2017/12/17
不思議な生き方
今回はお金の話をします。現在私は無収入で生活していますが、こういうと「よくそれで生きていけるね」と言われます。たしかに私も不思議なんですが、もう一つ不思議ついでに言うならば、あくせく働いていた時には、収入もあったけど、支出もかなり多かったんです。しかし、無収入で貯金を切り崩している今の生活は、若干の収入とわずかの支出ですんでいます。
貯金は0になれば「あがり」です。幸いまだゴールはかなり先にあるのと、60過ぎたら年金が入るシステムでお金を貯めて来たので、事実上、闘病生活という名のセミリタイア状態で生きています。
見た目ほど私は頑丈ではないし、おそらくあなたが想像するよりあちこちが悪いので、健康な人ほど働けないという事情はあるのですが、貯金はいずれ0になるので、それまでに悔いのない生き方をして、60までに貯金が尽きたら、そこでくたばればいいとさえ考えています。
むしろゼロになる、というゴールが見えている分、以前ほど不安に思うことはほとんどなくなりました。
「お前は死ぬのが怖くないのか?」とあなたは思うかもしれません。
私は死を恐れない
そうです。
私は死を恐れていません。もともと死にたい人間だったのが私です。それが何かの間違いで50数年も生きてきてしまったわけですから、今この時点で生を謳歌できているのは、我ながら運がいいと思います。
もともとは「死にたいのに生きている」こと自体が問題になって、私の生きづらさになっていました。しかし、数限りない問題と向き合って一つ一つ解決していった結果、死にたい感覚はそのままで、生きづらさがほとんどなくなってしまいました。
不思議なもんで、こうなると収入のあるなしは大した問題じゃないとさえ思えてしまうのです。確かに初対面の人に自己紹介する時は、いちいち説明するのが面倒だな、とは思います。面倒なんで身近にいる人にもあまり説明はしてませんし(笑)
考えてみると「職業」や「肩書き」って、単に糧を得るという意味以上に、自分が何者であるかを現すアイデンティティなのかもしれません。アイデンティティとして考えると「何もしていない」「何の仕事もしていない」自分は、何者でもないわけですから、不安にはなるでしょうね。
生きづらさのない生活
しかし、私にとって生きづらさを感じて収入を得ることより、無収入でも、生きづらさのない生活の方が遥かに大事なのです。
だから、一時期私は「働かないカウンセラー」を自称していました。そのカウンセリングも1年以上してないので、今の私は「ただの働かない人」になっています。
欲を言えば、働かずにお金が入って好きなことだけして生きていけたら一番いいのですが、運が良ければ60からはそうした生活もできるでしょう。
私は今内職にも手を出していますが、これは困窮しているからではなく、いつも同じことをしていると、刺激がないので、50の手習いのつもりで始めたにすぎません。そういう意味ではヨガも同じですね。
いつ訪れるかわからない死にビクビクしながら生きるより、とりあえず60までに貯金が尽きたらそれまでだし、尽きなければそこから先の生き方が模索できるかもしれません。そう考えると私は、不安よりもワクワク感の方が先にきてしまうんですよね。