怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(178)自分の問題と向き合うための10の闘い(68)自分の欲求と限界⑧
験担ぎはしない
今回はツキの話をしようと思います。といってもお空の月ではありません。ツイている、とか運がいいとかの話です。
基本私は全く信心と言うものから縁遠い人間ですので、いわゆる運をあげる験担ぎとかはしない人間です。とはいえ、悪い流れがきている時は何とかよくしたいのも人情です。ちなみに、10月1日に免許証、クレカ一式を紛失して以降、10月末にひいた風邪が治らないわ、脇見運転で捕まって罰金払わされるわ、といった感じで今の私は客観的にみても「ツイテない」と思います。
では、あなたならこんな状況をどうしたいですか?占い師に見てもらいますか?どこかの神社でお祓いしてもらいますか?
悪運は誰のせい?
私なら多分どれもしません。もしも私の悪運が私以外の誰かによるものなら、その誰かを変えることは基本不可能だと思っているからです。
とはいえ、この悪運が私のせいか?と言われたらそれも違います。よく「普段の行いが悪いからだ」と言うことは聞きますけど、ある意味それについては否定しません。
でも、振り返ってみると、20年間働き方は悪かったかもしれませんが、そこそこ実社会で勤め上げてきた自負もありますし、結果として会社の役には立たずに、世間の荒波に放り出されましたが、闘病生活をしつつ、無職のまま10数年生きながらえています。
もし、私が悪運だけで生き延びていたとしたら、もっと早くに「バチ」があたって、今頃私はこの世にはいなくなっていたに違いありません。
自分が正せる箇所は正すとして、それ以上にやらかした事ばかりせめてもどうにもなりません。まさに過去と他人は変えられないというやつです。
今は「使う時」ではない
例えば、台風が上陸しても非力な人間は過ぎ去るのを待つしかありません。大雨、大嵐の中にでていったとしても、下手したら命を失いかねません。毎回台風の中に出て行って一定数の方々がお亡くなりになられていますが、無駄にあがくより何もしないのもアリだよなあ、とニュースをみるたびに私は思うわけです。
こうして考えてみると、時の運というのも台風と大して変わらないのではないでしょうか?人間ごときがどうあがいても、できることは限られています。またそこで付け込むように信心やお布施を迫ってくるお祈り系を、私は毛嫌いしてます。そんな努力をするくらいなら、何もしない方が数倍マシだなと思うのです。
もちろん失職してからただ漫然と過ごしてきたわけではないので、できることはこの10年で会社員時代よりめちゃくちゃ増えました。でも、今はそれを使う時ではないような気もしています。
何より自分があまり乗り気ではないですからね。こんな時に無理して打って出るのは、それこそ台風の中でかけていって命をおとす人と何ら変わらないのではないでしょうか?