怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(168) 自分の問題と向き合うための10の闘い(58) 50にして知る天命とは何か?⑧
他人との距離をどうとるか
最近、ブログに恋愛ネタ書きすぎ?というお声を頂戴したので、今回はちがう話にしてみます。ということで今回は自分の真の欲求とは何か?というお題で書いてみようと思います。
先日、今まで関わったり、企画したり、主催したりしたイベント・講座などを書き出してみたのですが、思ったより結構多かったんですね。で、ふとまちおこしにかかわりだした時のことを思い出したのですが、実をいうとまちや市を盛り上げたいとかいう純粋な動機は1mmもなく、単に「まちおこしにかかわるとモテるよ」と、とある人にそそのかされたからなんですね(笑)
で、その人にいわれたことがもし本当なら、今頃はたぶんモテすぎて困っているはずなんですが、現状はまちおこしを始める前と何ら変わっていません。確かに出会いの機会は増えましたし、こちらからアクションを起こしたこともありました。しかし結果は全敗。
いったい何がいけなかったのか?
こうなると、何がいけないのかわからなくなってきてしまい、いったん異性のことを考えるのはやめておりました。実際、かかわっていたまちおこし事業がどれも忙しかったというのもあります。ところが、両親の介護が本格化してくると「(介護を)手伝ってくれなくてもいいから、心の支えが欲しい」と思うようになりました。
うちの両親は自分たちがぼけた時のことも結構想定して動いていたほうだと、息子の私がみても思うのですが、いかんせん歳をとってしまうと、本人が覚えられなくなってくるので、どうしようもできません。
なまじ施設やデイケア(デイケアは本人たちが拒否してしまいました)にいかない分、家族への負担と、拘束される時間が増えてきます。以前のようにひたすら仕事をして紛らわすということも精神的・肉体的にできないですし、それでも今忙しくしているのはそういった現実から目を背けたいからです。
本当は恋愛を楽しいとは思っていない
こう考えていくと、実は私は恋愛がしたいというより単に心の支えが欲しいというだけの願望しかないのかもしれません。もともと独りでいてもそれほど苦には感じないこともあって、だれかと四六時中一緒にいるという環境はむしろ不得手でもあります。ここで他人とうまく距離を取りつつ生きてきたのが今までの私でした。
おそらくこれを読んでいるあなたが思っている以上に、私は恋愛を楽しいとは思っていません。なぜなら恋愛をして苦しい、しんどいと思ったことはあっても楽しかったという思い出が一切ないからです。そしてたぶんこれからも楽しむ気がないのでしょう。もっと切実な点で安心したい、ほっとしたいという点で私はパートナーを欲しているのだと思っています。パートナーはほしいけど特定の候補が思い浮かばないというのは、単に私が贅沢をいっているだけではないのかもしれないのです。
そしてあらゆる点で以前の自分とはけた違いな変化を見せた今の自分が、どうしても変われない部分であり、もっとも苦手としている恋愛に対して、なんとか向き合っていきたい。変わりたいというのが、根っこにある私の真の欲求なのかもしれませんね。