怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(167) 自分の問題と向き合うための10の闘い(57) 50にして知る天命とは何か?⑦
2018/01/04
生きていくことはしんどい
生きていくって実にしんどいことですね。稼げないこと、働きが悪いこと、独りでいること・・・
気が付いたら、すべてが私のせいになっているのです。ただ、それはいくらなんでもおかしいでしょう。考えてみたら「死にたい」と思うのも至極当然の話で、生きていくことにこれといった「利益」を見いだせないのですから、いくら「生きていたらいいこともあるよ」といわれても、追いつめられるとそういう考え方にはなりにくくなります。
とはいえ、多少の猶予があるのはまた事実なんで、明日明後日でどうにかなるというわけでもありません。そもそも先の読めない昨今、五年先、十年先を読んで人生設計していくことは、大変難しいと思います。また、タイミングというものもあるので、今すぐ動けば結果が出るのかというとそうでもないわけです。
無職ではいたくなかったために
実際、30代の時は無職でいたくなくて、コンビニに飛び込んで、いいように使われるがままに11年半を過ごしてきました。ですから、同じ轍を踏まないためには、単に稼ぐことだけを目的にしてはいけないのです。なぜならその先に待っているのは「寝たきり生活」である確率が大変に高いからです。
そもそも30代の時も「稼げないのはお前が悪い」といってきたのはほかならぬ両親です。確かにあの時代の私は「普通運転免許」以外はこれといった資格ももっていませんでした。しかしながら、今現在履歴書にかけないくらいの資格を保持しながら、そのいずれもお金になっていない現実を考えると、もうこれ以上、様々な資格をとる必要性を感じません。とったところで、元手が取り返せるとはとても思えないからです。
今や資格があるからといって安泰という時代でありません。例えば腕に覚えのあるであろう、車の整備資格とかですら、もはやそれだけでは食っていけなくなっています。実際車屋で働いていた30年前でもすでにそういう兆候がありましたからね。整備士というのは世の中に必要とされている技術でもあり、その技能を習得するには厳しい訓練を乗り越えないといけません。
対価は努力に見合うものか?
しかし、その対価は決して努力に見合うものではないのです。そう考えていくと、果たして稼げないのは本当に自分のせいなのかどうか?じっくり考えていくと、そこで親と一緒になって自分を責めたところで、何の生産性もないのではないでしょうか?
とはいえ、過去と他人は変わりません。変えられるのは自分だけです。でもそう簡単に自分を変えることはできないでしょう。だとしたら、いろいろ動きながらタイミングを待つというのも手かもしれません。また何もやらないというのも手かもしれません。
一つだけ言えるのは闇雲に自分を不安にさせないこと。それに尽きると思います。誰にも予測がつかない明日におびえるより、確かにここにある「今」をしっかり生きることの方がはるかに大切ではないかと私は思っているのです。とはいえこれが正解かどうかは今の私にはわからないのですけれど。