怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(160) 自分の問題と向き合うための10の闘い(50)私は誰の人生を生きているのか⑩
人間によって異なるデフォルト
この項目の最後は久々に毒吐いてみようかな?と思います。たまには原点回帰も悪くないでしょう。
そもそもパートナーがいる前提の人はその状態が自然な形です。誰かがそばにいて当たり前。しかし、世の中そういう人間ばかりではありません。でも独りがデフォルト(初期設定状態)になっている人間にとって、パートナーを作ることは努力を伴う作業になります。
パソコンで例えるならば、非モテは様々なソフトをインストールしなければ、ただの箱でしかなくなるわけです。だからパートナーのいない人間は哀しいくらいに努力をします。努力はするのですが、更に哀しいことに、非モテはパートナーを作ることや、下手したらパートナーを作る努力自体が崇高なゴールになりがちです。
つまり非モテでも、努力という名のソフトはある程度インストールできて、ある程度血肉にはなるのですが、それで、じゃあ結果が出せるかどうかというのは別問題なんですね。
マシンの性能によっては有能なソフトもメモリを食いまくって動作性能を遅くするお荷物になりかねません。要はデフォルトの状態も人それぞれで、容量オーバーしてしまうと、よいパフォーマンスには繋がらないわけです。
既婚者が馴れ初めを聞かれてよく返す答えに「気がついたら結婚していた」とかいう類のものがあります。私はつい最近までこの意味が理解できませんでした。まるで「全然勉強してないよ」とか言ってるクラスメイトが、いざテストになると、高得点を叩き出していたような、イヤミな感じすら私は抱いていました。
しかし、機械であるパソコンのデフォルトが機体によって様々であるように、生物である人間のデフォルトはもっと複雑に種別されているはずです。
皆に等しくパートナーがいる状態が本当にデフォルトなのか?
生き物というカテゴリーでくくるならば、自然界でパートナーを見つけて子孫まで残せせる種は本当にごくまれなはずです。たまたま人間には、これといった天敵がいないために、幼少期に食われて死ぬということもないため、多くの種は生きながらえてしまいます。
でも、自然の摂理から考えるならば、全員がパートナーを見つけて結婚し、子孫を残せる状態が果たしてデフォルトといえるでしょうか?そんなハイスペックマシンみたいな種が勢ぞろいしていたら、人口増加で地球は爆発してしまうでしょう。
とはいえ、私も機械ではないし、ハイスペックな人間にあこがれはあります。ただ、それをハイスペックな人間側から普通だの、自然だのといっちゃうから、スペックでは明らかに劣る非モテは悩み苦しまねばなりません。ハイスペックな人間にとっては当たり前のことが、非モテにはそうではないわけですから、言い方を間違えたら「どんだけ上から目線なんだよ」と怒りを買いかねないともいえるでしょう。
人間が大自然の産物であるならば、皆が等しくパートナーがいる状態など決してデフォルトにはなりえません。そのことはここ数年で私が試みた努力がことごとく空振りしたことで証明されていると思っています。
であるならば、ハイスペックには憧れながらも、自らのスペックの分を弁えて、モテるためにスキルをインストールするばかりではなく、自分が身に着けたスペックや余分にダウンロードしたアプリは、断捨離よろしく削除していくことも、楽に人生の主役を務めるためには必要なのではないかと今は思っているのです。
独りは好きだけど、独りは寂しい。それは当然として受け入れて。でも自分の上限を超えるような努力はしないというのも必要なのかもしれないなと、今の私は思っています。