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それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ

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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(161) 自分の問題と向き合うための10の闘い(51) 50にして知る天命とは何か?①

予兆を甘く見ないこと

季節の変わり目は体調に変化が出やすい時期です。かくいう私も夏から秋に変わるこの時期が一番苦手で、色々な不調に悩まされます。

特に9月の頭は最初に勤めた会社をクビになった時期だし、メンタル面でも「落ちやすい」時期だという自覚はあるのですが、備えてもなお憂いが出るので、厄介なんです。

今考えると「予兆」ともとれなくはないのですが、9月の頭に脚がつりだしました。激痛で飛び起きるくらいでしたが、この時はヨガでストレッチを入念にして事なきを得ました。

事なきを得たはずだったのですが、この記事を書いている2日前、腰に激痛が走り、歩けなくなりました。一日はコルセットで腰を固定し、一日は鍼治療で当面の問題は解決したのですが、よくよく思い出してみると、体から「足がつる」というシグナルが出ていたことに思い至った次第なのです。

痛めた箇所は右側で20代の時に痛めた左側とは反対の筋でした。もともと線維筋痛症もちであることを、頭に入れておけばよかったのですが、体調がよいとついつい無理してしまう癖はなかなか抜けきれないものです。社畜の魂、100までも、とはなりたくないものです(苦笑)

五十にして四十九年の非を知る

「五十にして四十九年の非を知る」という諺があります。これは、

年を経ても更に成長しようとする様。

年の五十にもなると、自分自身を省みなくなって驕りや妥協が生ずるものだが、そうではなく、それまでの人生にはまだまだ直すべきところがあったと自己を律して己を更に向上させんとすることを含む。 (ことわざ図書館より引用・抜粋)

という意味らしいです。

私としてはむしろ50過ぎてもなお、学びなど怠らない、向上心を持って生きてきたつもりでしたが、学ぶ、学ばないだけが、49年の非ではなかったということだということに気づかされました。

自分の体調に関しての驕りが今回の腰痛を招いたのだと考えると、非常に納得がいきますね。

とはいえ、気付きがあっただけ、今の自分は49年の過去とは明らかに違います。また、自分以外にも自分の身体のケアに関しては信頼してお任せできる方々が多数存在しています。

そういうことでいうならば、確実に私は以前より向上している自負もあります。50で円熟を迎えた感じはさらさらなくて、むしろまだまだ、という感じの方が強いくらいです。

とはいえ、頑張りどころは間違えないように、気をつけて、おごりのないように過ごしていきたいものです。









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