怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(155) 自分の問題と向き合うための10の闘い(45)私は誰の人生を生きているのか?⑤
一人じゃどうにもならない
私の両親は昔から今に至るまで私に「所帯をもて」と言い続けてきます。私には何のメリットもない話だし、好きな人もいかいので、現状無理な相談なんですが、自分たちの固定観念から脱却しようともしないで彼らは、あいも変わらず同じことを言い続けてきます。
ですが、その両親の介護が始まるとだんだん「一人じゃどうにもならんな」と思いはじめたのです。とはいえ、誰かに介護を手伝ってもらいたいわけではなく、何か精神的な支えがないと、独りでは立ちいかなくなる危機感を抱いたわけです。
正直、今でもケアマネジャーがついていますし、大概のことは独りでこなせるのですが、やはり精神的な拠り所として、異性の存在って大事なんだなあ、と今更ながらに気づいた次第なのです。
だからこそ、自分の人生の主役は自分なんだという感覚はどうしても身につけておく必要があったのです。
なぜ誰にも相談しなかったのか?
とはいえ、やはり今まであまりにも自分のことを疎かにし過ぎたせいか、とりあえず何から手をつけていいものやら、という感じで、途方にくれてました。
しかし、長年カウンセリングをうけ続けてきた体験から「第三者の視点が必要だ」ということに思い至りました。そして、これほど失敗を重ねてきたにも関わらず、恋愛問題に関しては誰にも相談してこなかったことに気づけたのです。
では、なぜ私が誰にも相談しなかったのか。いくつか理由を思いつきました。
①他人を信用していなかったから
②誰かに相談するのが恥ずかしかったから
③めんどうくさかったから
自分の人生を主役として生きようと決めた途端に
①の他人を信用していなかった、というのは、元来私がもちつづけていた人間不信という要素もあるのですが、もう一つ、若き日のお見合いでの苦い体験が原因でもあります。
昭和末期〜平成初期はまだ旧来型のお見合いが横行してました。要するにマッチングとかいう丁寧なものではなく、単純につがいにするために、相性とかそういうのを無視した出会いが用意されていたわけです。しかも、仲介者(世話人)の多くは、決して当事者に寄り添わず、まるで誇るかのように、自分が結婚させた事例の数だけを自慢していました。
そんな旧来型のマッチングに対して、時代は既に「好きでなければ付き合いたくない」というマインドに移り変わりはじめていました。要するに当時ですら時代のニーズにそぐわないお見合いは私にとっては苦痛でしかなく、それが大きなトラウマになっいました。
②の「相談するのが恥ずかしい」というのは、まさにこのトラウマが尾を引いていたが故です。ましてや私は長い間自分のことを肯定できずに生きてきましたからね。こと恋愛に関しては「自分一人で何とかせねば」という意識もつい最近まで強くありました。
③のめんどくさいというのは、独断専行で自爆し続けてきた結果、「うまくいかないなら、何もしないほうがマシだ」という結論にいたり、本当に恋愛に対しては問題放棄を繰り返してきたのです。しかし、そんな私が自分の人生を主役として生きようと決めた途端に、相談に乗ってくれる人が現れたりするのですから、世の中面白いものです。
あとは、この感覚をいかにして自分のものにしていけるか、私の課題はそのへんにありそうな気がしています。