怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(152) 自分の問題と向き合うための10の闘い(42)私は誰の人生を生きているのか?②
2017/07/28
俯瞰で他人事にしてきた人生
自分が自分の人生を主役として生きることが、当たり前として過ごしてこられたあなたは、もしかすると「自分の人生の主役が自分じゃない、ってどういうこと?」と思われるかもしれません。
私の場合、常に自分の人生を俯瞰で見続けてきました。当事者として過ごすにはあまりに辛すぎて重いからこそ、俯瞰で他人事にしてきたわけです。
実をいうとこれはカウンセリングのテクニックの一つで、つらい出来事を緩和するための方法としては有効なのです。
しかし、私の場合、我が事の全てを俯瞰で見続ける習慣が根付いてしまっているため、本来主役になるべき場面でも、まるでナレーターのような視点で自分のことを観てしまっているのです。
ですから、たとえば映画などで、あなたが主役をわが身に置き換えて楽しむということが、私にはどうしても出来ないのです。
主役であってはならない感覚
逆に主役に倒される悪役や、ハッピーエンドになる主役のために、物語上、かませ犬になるライバルなどにはめちゃくちゃ感情移入出来るのです。
まあ、エンターテインメントの楽しみ方は人それぞれですけど、自分が主役たらん時に主役であってはならない感覚が強くあるのが大いに問題になっているわけですね。
こうした分析があたかも第三者のような
感じで出来てしまうのも、私の「主役であってはならない」感覚のせいかもしれません。
カウンセリングで第三者の視点で自分を見つめるのは、その問題が当事者意識として体感するには、あまりに苦しいからで、私の場合はその逆になるわけです。
苦しいことなら他人事でもよいのですが、ポジティブな体験まで俯瞰化してしまっては、いつまでも自分の心にポジティブな貯金が貯まっていきません。
習慣を変えない限り、問題解決にはならない
私は極端から極端に走りやすい性質があります。それは自分が抱えている問題を書き出していくことで、見つけたものです。
カウンセリングでは問題点がわかった時点で解決したも同じであるかのようなことがよく言われます。割とシンプルな課題なら、確かにその通りなのですが、私のように問題点が長年にわたり習慣化している場合は、少し事情が異なります。
長年、自分を俯瞰化することに慣れすぎていた私は、その習慣を変えない限り、問題解決にはならないわけです。
しかし、慣れ親しんだ感覚はたとえそれが生きづらさにつながっていても、変えにくいものなのです。
手段としては少しずつ緩めて、少しずつ変えていくのが一番よいのかな、と思います。一朝一夕ではいかない問題だからこそ、時間がかかることは覚悟しないといけないのかもしれませんね。