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2017/07/10

私がよく言っていることで、「今生かされていることには何らかの意味がある」というものがあるのですが、なぜ私はこんなことを言っているのか、を今回はお話ししたいと思います。

正直、死にたい人間だった私は、生きていることに意味なんかないと思って今日までの大半過ごしてきました。生きていく意味を更に失ったのは、失職→寝たきり→闘病という生活にシフトチェンジしたばかりの頃になります。

当時は「働けない人間なんか生きていく価値はない」と思い込んでいましたからね。正直毎日、天井を見ながら「死にたい、けど死ぬ気力が出ない」というありさまで二年近く過
ごしていました。

そして失職時から数えて十年が経過してなお、私は定職にもつかず、生き続けています。特別両親にたかっていたわけでもないのですが、それでも親から訴えられたら正直負ける気しかしません。しかし、それでも私は生き永らえました。

こうなると、人間不思議なもので「自分が生かされていることに何か意味があるに違いない」と思えるようになっていったのです。ちょうどカウンセリングと出会って、自分と向き合う機会が増えていくと、ますますその傾向は強くなっていきました。

カウンセラーという仕事は便宜上都合がよくて、ついつい自己紹介で使っていますが、本当のところは、困った人がいても何もする気はありません。むしろ積極的に放置していくくらいの気持ちでいますし、普段は意識してカウンセラーモードをOFFにしています。

こうしておかないと、本当にいろんな意味で「困った」人が寄ってくるのです。私は特に「必要とされている」=「好かれている」と勘違いしていた時期が長くあって、ついついこうした困った人の求めに応じて自分を安売りしていたのです。

しかし、「困った人」というのは単に自分の悩みを人に聞いてもらいたいだけなんで、ぶっちゃけそれが私でなくても全然困らないのです、ましてや私の気持ちなんかどうだっていいのです。

今にして思うとそうやって寄ってくる女性に対しては特に甘かったなと自分でも反省したので、特に今は恋愛モードにはなりにくいなあと思っています。とはいえ、これも帯に短し、たすきに長しというやつでしょうね。あまり極端になりすぎるときつくなるので、ほどほどの妥協点を探りつつ、生かされている意味を考えていきたいと思っています。











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