怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(137) 自分の問題と向き合うための10の闘い(27) 働かざるもの食うべからず⑦
2017/06/13
今回は断る話をします。
私が子どもの頃こんなことがありました。学校の帰り道にある文房具屋さんに出入りしていました。そこのおばちゃんは、私の母と親しくしていて、私のことも可愛がってくれていました。
小学校高学年から中学生にかけて、世の中はスーパーカーブームに沸き返っていました。当然私もご多分に漏れず、夢中になっていた1人でした。
昔からそうなんですが、私は立体が苦手で絵は描いても、プラモ製作とかは苦手でした。しかし、スーパーカーといえば、子どもで(もちろん大人でも)買えるものではないですし、かといってミニカーでは物足らなく感じていたので、勢いプラモに目がいくわけです。
件の文房具屋さんにはプラモも置いてあって、憧れのスーパーカーももちろんありました。ただし当時の小遣いではプラモ一箱買うのも一苦労。そこで妥協案として、お金を貯めて買うので、スーパーカーのプラモ(ランボルギーニ・カウンタック)を取り置きしてもらうことにしました。
しかし、先ほども申しましたように、私は立体造形を本当に苦手にしておりました。何となく友達が作っているプラモに憧れて、自分もチャレンジしたものの、ことごとく失敗。実はスーパーカーは大好きでも、プラモには苦手意識を拭えずにいました。
そんな具合ですから、限られたお小遣いの中から、本心でプラモを買う気にはどうしてもなれず、文房具屋さんに寄っても曖昧な返事しかせず、ズルズルと引き伸ばし、結局小学校を卒業するまでプラモを買いには行けませんでした。その後も買わずじまいでしたけどね。
おばちゃんサイドからすれば、何となく見込みがなければ、他の人に売ろうくらいに考えてるいたかもしれません。しかし、私は長い間「おばちゃんを裏切った罪悪感」に苛まれ続けたのでした。
このように、私は長い間「断れない」人間だったのです。それは大人になってからもかわることはありませんでした。断るとその度に罪悪感に苛まれ続けました。だから、私はブラックな労働環境から抜け出せず、罪悪感を感じないために、自分を酷使して働き続けたのです。
そんな私が働かない選択肢を選ぶためには、いちいち罪悪感を感じていてはどうにもなりません。この罪悪感に打ち勝つために、かなり大人になってからの私は、結構な時間とお金を費やしたのです。
最初から怠けることができたらどんなに楽だったかと今でも思いますね。