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帰る場所がない

今回は「帰る場所」についてお話しします。これを読んでいるあなたには、安心して帰ることができるところがありますか?

ちなみに私にはありません。いや、正確には「ありませんでした」。なぜなかったのか?それをこれからお話ししていきましょう。

日常会話で割と交わされる挨拶に「ただいま」「おかえり」というものがあります。実はうちの両親はこの挨拶を交わしません。少なくとも私が知る限り、彼らが自発的に「ただいま」「おかえり」という会話をしていることは、未だにありません。

私が子どもの頃には、学校で「挨拶はするように」という教えを受けていましたから、挨拶はしていたはずなんですが、いつしか両親からの返事は返らないようになり、私も帰宅する時は挨拶をしなくなりました。

私には家族を含む集団への帰属意識が恐ろしく希薄でした。しかし、反面「自分が帰り着ける場所」をずっと探してもいました。それに気づいたのはごくごく最近になってからです。

帰属意識が薄い

それまでの私はとにかく集団のために個を殺す生き方をしてきました。私が何者であるか、というのはどうでもよくて、ひたすら組織のための歯車であろうとしていたわけです。その結果がどうなったかというと、歯車として役に立たなくなった途端に、集団から切り離され、何ものでもない個になってしまう事をひたすら繰り返してきました。

組織としての自分は例えば「〇〇会社の××です」と名乗れば、所属している〇〇会社が自分の身分を証明してくれました。しかし、〇〇会社から離れてしまうと、ただの××であり、どこにも帰属しないフリーランスということになります。

今でこそ自分と向き合い続けて「自分は自分なんだ」という意識を持っていますが、カウンセリングやヨガと出会う前はただの病人でしたから、肩書きがないことが不安で仕方なかったのです。

極め付けは、警察の取り締まりに引っかかった時で、どうしても「無職」とは言いづらかったため、あらゆる方便で逃れようとしましたが、ああいう時に限って屋号やら在籍年数やら仕事場の住所まで聞いてくることが多く、未だに辟易としております。

正直今だって確定申告なんか必要ないくらいの収入しかありませんから、独立して生活するのも不可能ですし、屋号なんか考えもしていなくて、日々その日暮らしをしているのが実情です。

たった一言が欲しかった

そんな私に一つの変化がおきました。それはある人から「おかえりなさい」と言っていただけたことでした。

前述したように私の家では「ただいま」「おかえりなさい」という会話がありません。ですから、全く予想外の、しかもお会いしたことのない方から「おかえりなさい」と言ってもらえたことはある意味衝撃的ですらあったのです。

単純に誰かから「おかえり」と言ってもらえること。家庭やパートナーが欲しかったわけではなくて、ただ単純に「おかえり」って誰かにいってもらえること。私が本心から求めていたのは「たったそれだけ」のことだったのです。

この気づきによって、「帰りつくところ」って組織や家庭だけじゃないんだ、ということに気づかされました。自分が素通りしていた目の前の大切な宝。それに意識が行かなかった私の浅はかさに、腹が立つやら、情けないやらで…。

でも、たったそれだけのことをいってもらえることが、こんなにうれしいことだったなんて。それをこの年で知ったことだけでも生きていてよかったと今は思えるのです。









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