怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(125) 自分の問題と向き合うための10の闘い(15) 死にたい感覚⑤
躾の厳しい家庭に生まれ育った子どもは、大人になって自己肯定感が低い人間になるといわれています。(参照記事より)
正確なデータがないので、確定ではないのですが、傾向としてはあるのではないかと私は思います。そもそも自己肯定感が高かったら、最初から死にたいとか考えないと思いますしね。
では、私がこの説を支持する理由をこれから説明していきましょう。
御多分に漏れず、私の両親はしつけという点では厳しかったですね。「子どもはほめると調子にのるから」という方針でどれだけ頑張っても頑張っても決して評価されることはありませんでした。やれて当たり前、やれなければ半人前以下。それが私の両親の基準でした。
今でもハッキリ覚えているのですが、私が進路を決める際に、両親は必ず市内でも上位の学校に行き、そこから学費のかからない国立大への進学を強く希望していました。その理由は「学費のかからない大学に進学することが、親孝行だから」という理由からでした。もちろん、お金がかかる浪人はゆるされてませんでした。
しかし、私は結果的に両親の考える親孝行することはできませんでした。 入学できた高校は普通科では、市内で三番目くらいでした。大学受験も一浪こそ免れましたが、全滅。唯一補欠でひろってくれた母校にすべりこんで大学生になることはできました。
私からすると「親が望んだとおりに大学進学を果たしたんだから良し」なんですが、両親からすると「国立にも行けないで、お金のかかる私立に行くなんて。まあ、浪人しなかっただけ助かったわ」という評価になります。
この時代の私は、他人の価値観に振り回されて自分の価値まで乱高下させていました。しかも経済学なんか学びたくもなかったですし、本来は絵の描ける美術系に進学したかったのが本音でした。
しかし、そんな自分の本音をなかったことにして、親のいいなりで自らの進路を決めた私は、その後も流されるままに人生を無為に過ごし、生きているのか死んでいるのかわからないような時間を費やしてきました。もちろんその間、死にたい感覚は常につきまとっていました。死にたいのに、死ぬことを選ばない私は、いつしかただ「生きているだけ」の人間になっていったのです。ある意味いっそ死ねたほうがよほど楽だったといってもいいでしょう。すべての出来事を結果オーライにできたのはつい最近になってからですからね。渦中にあるときは苦しいだけの時間が延々と続いていました。
私のケースはかなり極端な例かもしれません。しかし、やはり人間はある程度は褒められないと、あがるはずのモチベーションもあがらないのではないでしょうか?ましてやその先にある自己肯定感なんて、高まろうはずもないのです。