怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(123) 自分の問題と向き合うための10の闘い(13) 死にたい感覚③
今回はいつ死んでもいいように一瞬一瞬を楽しくいきている私の話をします。
今この瞬間を楽しく生きている私は、いまのところ退屈しない人生を過ごしています。よいか悪いかは別にして、一日一日すぎていくのがとても早く感じられます。身動きとれないくらいガチガチに予定ぶちこんで、日々追われた感覚が常にありますが、追い立てられるように働いていた社会人生活時代よりは、ずっと楽しいと感じています。
確かに毎日がつまんなくて一日なんて、とにかく早くすぎたらいいのにと感じていた頃に比べたら夢のような話です。今は正直毎日に全力投球しているので、いつ何時寿命が尽きても、それほど後悔はしないと思います。
しかし、人間というのは贅沢なもので、忙しさにかまけていると「本当にこれでいいのか?」という疑問が頭をもたげてくるのです。ヒマならヒマで、一日なんて早く過ぎればいいのに、と感じるくせに、勝手なものです。
でも、やはり何かが足らない気がするのは確かに今もあります。自分のしたいことをして、生きたいように生きている今の自分に対して感じる一抹の不安は、これをやらねば死ぬときに後悔するかもしれない、私の普段意識しない、無意識レベルでの願いであるような気がしてならないのです。
正直な話、一般人がやらないレベルまで上り詰めたオタクライフを一面では誇らしく感じています。しかしそんな自分を片面ではイマイチ好きになれていないのが腑に落ちないわけです。
おそらく私が現在のところ手に入れられていないのは、安らぎだと思うのです。刹那的な安らぎならその都度手に入れてきました。だから人が趣味の領域にとどめているものが、わたしの中では生き甲斐と化しているわけです。
しかし、その生き甲斐を満たすためには、今の私がひたすら忙しくしなければならず、常に活動していないといけません。それは凄く刹那的で恒久的な持続性にかけています。生き甲斐は刹那的でもいいのですが、どうせ気持ち良い感覚ならば、ずっと続いていてほしいものです。できたら休んでいる間も幸せでいられたら、こんなにありがたいことはありません。
残念ながら私の身体は一つきりしかありません。ですから複数の生き甲斐を満たし、充足感を感じるためには、人の2倍、3倍動かなければなりません。それではいずれ疲れ果ててしまうのが目に見えているわけです。
そうなると、休みながらでも生き甲斐に費やす時間をうまくやりくりできる気がしています。常にスイッチがオンの状態ではどんなことをしていても人間疲弊してしまいます。そうではなくてオン、オフ、いずれの状態でも楽しくいられること。これが今の私が真に求めていることなのかもしれません。