怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(114) 自分の問題と向き合うための10の闘い(4) シェアに対する不快感④
2017/03/20
今回は幸せとシェアの話をします。
中国の武侠小説(武術に長け、義理を重んじる人々を主人公とした大衆小説のこと)を読んでいると、登場人物が特異な能力を得るために身体の一部を切り落とすという描写がしばしばみられます。
日本ですと、昭和に流行したスポーツ根性ものの物語がちょうど当てはまるでしょう。
本当に欲しいものを手にするためには、自分の身を削ってまでしないとダメだという信念は私の中に深く深く染み付いています。ですから、よしんば苦労して欲しいものを手に入れられても、常に満たされることなく、いつもカツカツな状態に自分の身を置いていることがよくあります。カツカツだからこそ、他の人間に対してシェアするという理念が自分の中でしっくりこないのかもしれません。
しかし、欧米の映画などをみていると、主人公が何も失わずに幸福を総取りするエンディングは割と普通にみられます。これは、宗教観や価値観の違いから生じる差かもしれないですけど、では現実はどうでしょうか?果たして何かを得るためには何かを失わなければならないのでしょうか?
幸せの形は人それぞれだとして、幸福をざっくりとした感じで捉えてみると、案外何も失わずに幸せになっている方は多そうにみえます。もしかしたらあなたもそうかもしれませんし、私も側からみたら幸せにみえているかもしれません。
最もあなたの人生にも山あり谷ありは付き物だと私は思いますので、トータルすればどうなるか?は、あなた次第ともいえます。しかしそれはあなたが死ぬ間際まで結論はでないでしょう。
だとしたら、トータルではなかなか幸せかそうでないかを判断するのは極めて困難になります。もしトータルでなく、今この瞬間に幸せを感じられて、それを継続できたらどうでしょうか?どこまで続くかはわかりませんし、それこそ山あり谷ありということもあり得るでしょう。それら全てを織り込んだ上で今ここにだけ、幸せであるように感じられたなら、私はそれでもいいと思っています。
くどいようですが、人生は山あり谷あり。幸せが続くかどうかはあなたにも私にも誰にもわかりません。でも今この瞬間にだけでも幸せを感じることはそう難しいことではないのかもしれません。今この瞬間ならば、引き換えに何かを手放す必要もなさそうな気が私にはしています。そう考えると、過ぎ去った過去や、これから来るかもしれない不確定な未来に思いを馳せて、必要以上に落ち込んだり、気に病んだりしなくてもいいのではないでしょうか。
もしかすると、瞬間瞬間の幸せが積み重なることで、私にあるシェアへの不快感も軽くなっていくかもしれませんしね。