怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(91) 私が人に合わせることがキライな10の理由(2)
2017/01/25
私の子ども時代はとにかく自分のことより人、人からどう思われるか、が非常に重要なこととされていました。母親が口癖のように「人が笑う」という言い方で私に何かと注意するように、人様のことありきで自分の価値が決まるという考え方でした。この感覚は繰り返し繰り返し刷り込まれているので、「そんなの思い込みだよ」と言われたくらいでは、簡単に解けない厄介なシロモノなのです。
そして、私は人のことを嫌ってはいけないという感覚にも長い間苛まれてきました。しかし、この世の全ての人を好きになるには大変なエネルギーも時間もいります。冷静に考えればわかりそうなものですが、こういう感覚に苛まれた状態で「他人に嫌われでもしたら、仲間外れにされたら、どうなるか?」などと考えようもんなら、それはもう怖くて仕方ないわけです。
ですから、必死になって周りに合わせようとするわけですが、これも程度問題でひたすら自分を押し殺してまで他人に合わせようとするから問題化していくのです。
でも、「人のことを嫌ってはいけない」感覚にどっぷり浸っていると、この感覚自体が問題であることにすら気がつけません。私のように、自分の身体がおかしくなったり、動けなくなってもなお気がつかない場合だってありうるわけです。
もしあなたが、私の感覚に近い感じで、「何処かおかしい」と思いながら、人の都合にばかり合わせているのだとしたら、それは大きな問題につながりかねない可能性があることを知っておいていただきたいのです。
自己中というのは、自分大好き人間とイコールにされやすいですが、私か思うには両者は違うんじゃないかと考えます。正確には自分を肯定しかしない自己中と、自己肯定感の低いかまってちゃん的自己中がいるんじよないかと私は感じています。
前者は人に害さえなさなければ、特に問題にはなりませんが、後者は自己肯定感が低い分、他者にその承認を求めたがりますから、厄介ですね。しかも自己中なんで、自分が欲しい承認が得られないとそれを人のせいにしてしまうわけです。
なんでも他人の都合に合わせまくる人は多少自己中になってもいいし、自分の都合に人をあわせようとする自己中は、まず自分の自己肯定感をあげて他人の承認をあてにしないことが必要になるでしょうね。私個人に関しては両方身に覚えがあるので、気がついた時は「ほどほど」を心がけていこうと思っています。