怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(73) 私が古事記をキライな10の理由(3)
2017/01/25
古事記に対する不快感を探るにあたり、やはり母との関係性を清算するタイミングが来ているのかな、と思います。母は末っ子ということもあり、年の離れた兄姉に可愛がられた存在だったようです。それは松江に帰郷すると母が末っ子化する理由としては十分に想像がつきましまた。要するに母が本当にやりたい役割は私の母ではなく、末っ子の役目だということだったのです。にも関わらず下関に行くと、私や妹や父(自分の旦那)の面倒を見なくてはならないわけです。本当は自分が面倒をみてほしいんですね。そのためなら他人の都合などおかまいなしになるわけです。
しかし、私は父母の面倒を見るために産まれてきたわけではありません。父や母が私に優しくなるのは決まって「親切にしたんだから」「育ててやったんだから」と代償を私に要求してくる時だけです。
最近は私も怒ることを覚えたので、怒りのエネルギーを直接父母にもぶつけます。私の人生は私のものだし、私の人生を私が責任持って生き抜くためには父母すら敵に回す覚悟ができているからです。でなければ私がこの先も父母のために生きねばならなくなります。それはもう私の人生ではなくなります。
両親、特に母は未だに私が何もせず遊び呆けているので、ヒマな私を自分の自由にしていいという、大変恐ろしい思い込みを持っています。ですから「私がこんなに苦労しているのに面倒みてくれないなんて、なんと恩知らずな息子なんだ」という持論で私を責めてくるわけです。実際恩知らずなら毎日送り迎えなんかしないし、とっくに音信不通になっているはずなんですが、そこは「できていることは当たり前としてスルーする」ので、できてないところだけをみて文句をいってくるわけですね。
たとえば今日なんかでも母が「買い物バッグを忘れたから探しにいきたい。だから(忘れたバス停まで)探しにいきたいから早く連れて行け」と2時間くらいグダグダいっておりました。あまりにしつこいので渋々用事を早めに片付けて車に行くと「なんで早くこない。どうせいつも遊んでいるくせに」と暴言を吐いてきたので、私も負けじと相手の目をみて「いい加減にしろ。お前なんか親なんかじゃない!」といい放ちました。これが言えなくて長年苦しんできたことを思えば、ついに言えたことで私は非常にスッキリできたわけです。
結局探し物は見つからず、徒労に終わった母をバス停において別件のためそのままでかけました。冷静に考えると、タクシーを使うなり、電話かけるなりしてカバンの所在を確かめればいいものを、大して電話もせず、人に探してもらいたくないけど、息子ならこき使ってもいいという母の発想はどうしても許しがたいものがありました。人の罪悪感を利用して他人、というか息子を思い通りに動かそうとするのは、姑息ともいえます。
やはり一通り毒突いて気がついたのは、最後に毒吐く相手はやはり両親になるんだな、ということと、その両親とも闘う覚悟を作り上げるまでには、一度自分の中の毒を完全に吐き出す必要があったのだな、ということですね。
古事記のことは引き金にすぎないとは思いますが、家や一族に個を縛り付ける両親のイメージと切り離せて捉えなおさない限り、私の中では不快なままになってしまいます。ですから古事記を捉え直すためには、まず両親、特に母との関係性は変えていかなくてはならないということだけは、しっかり刻んでおきたいですね。