怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーショガイド研究所所長の体験談ブログ(56) 私がお金をキライな10の理由(6)
私は自分のお金に対するイメージをかえるために、今までにない選択肢を探すというのを、ここ最近テーマにしてきました。最初は
① 問題から距離をおく
⓶ 問題を忘れる
⓷ 自分の反応をかえる
という三つの選択肢を用意しました。このうち、より細分化、具体化できそうな⓷の自分の反応をかえる、に特化してお話してみます。
さて、⓷を細分化していくとどうなるでしょう?あなたなら自分の反応をかえるためにどうしたいですか?別に代案を無理やり三つ絞り出す必要はありません。思いつくまま何かあれば出せばいいのです。そこで今回は、
「思い描く終わりをかえる」
を、試してみようと思います。
そもそも私は「死にたい」人間でした。それが死にたいまま生きようという選択をしたため、キツイ思いをしてきたわけです。ですからまず死にたい感覚をもつ自分を認めることからスタートしました。何せ生かしてもらっている身としては、死ぬことを考えずに、生きなければならないという感覚がありましたから、これを生きたいに変える必要もありました。
ではなぜ死にたいまま生きようとしたのか?それはかつて私に対してイジメや嫌がらせをしてきた人間に対して復讐するためでした。しかし、今は住むところも違うし、同じ学校に通うでもなし、なので、復讐の結末を確認することはできません。現実的でないということです。多少、いじめた側が酷い目に合っている想像くらいはできますが、その程度で晴れる恨みなら最初から死にたいとか思わないですよね。ならばどうしたいか?死にたいより強く「生きたい」と思えるモチベーションが必要になったわけです。それが私にとっての趣味になりました。趣味というと余暇を使った暇つぶしみたいなイメージがあるかとも思いますが、そうではなく人生そのものを懸けた生きがいと言い換えてもいいでしょう。極端な話、私は一時期プロレスとアニメのためなら死ねるとマジで思い込んでました。この頃の私が思い描いていた終わりは「本棚の本が崩れてきてその下敷きになって死ぬ」というものでした。そのエンディングを迎えるためだけに日々暮らしてきたといっても過言ではありません。
実をいうと今もその傾向はあって、自分が死ぬときは本やDVDにまみれて死にたいとは思っているのです。間違っても誰かに悲しんでもらえるとか、葬儀に多数の人が参列するなどという終わりは望んでいないでのす。それは人望のある人間だけがやればいいことです。これも自分で間違っていたと思うのですが、私はお金がなくても人望だけあればいいという間違った信念で動いてました。しかし、人望だけあっても腹は膨れないのです。確かに人望は金には代えがたいとは思いますし、長期的な展望に立てばその選択が正しいと思います。しかし、短期・中期で生活を成り立たせるのはお金が必要です。投資だけしていつかえってくるかわからない利益を指をくわえてまつわけにはいかないのです。そう考えていくとどういうエンディングが自分のもっともやりたいことなのか?を考える必要が出てきました。
(1)自分の時間を切り売りして身体に負担をかけて働く
(2)自分の時間と身体をなるべく使わずに稼ぐ方法を探す
(3)なにもしない
この選択肢だと、お金がどうしても今必要なあなたなら(1)を選ぶかもしれません。かつては私も迷うことなく(1)の「自分の時間を切り売りして身体に負担をかけて働く」選択肢を選んでいました。でも実際に身体を壊してみると(1)はどうしても選べません。(2)の時間と身体をなるべく使わずに稼ぐというのが一番現実的ですが、時間がかかりそうです。ということで意外と(3)は使えそうな気がするんですよね。考えても考えても、あらゆる手を尽くしてもいい結果が出ないときは何もしないというのも立派な選択肢になるなと、最近は思うようになったのです。お金は「稼がねばならない」となった時点で思うように稼げなくなります。「稼ぎたい」と自分が心から望まないと結果もついてこないはずです。であるならば、本当に今の私の心身が、心から「稼ぎたい」と望むコンディションにあるのかどうかまでを見つめなおす必要があったということなのです。