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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(6)私がワンピースをキライな10の理由その6

2018/04/18

 なれもしない理想像

このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。

私は誰かと一緒に何かをするのがとても苦手です。苦手だからこそ、それではいけないと思って自分には全然あわない接客業を続けて、自分を社交的な人間に変えてしまおうと思っていました。

結局なりたい自分というものになったつもりが、実はなれもしない理想像になったものと思い込んでいて、自分を苦しめていたのです。正直今でもシェアや貢献を求められると圧力めいたものを自分の中に感じてどうしようもなくなる時があります。

一人で行動するのが好きな私は、仲間で何かをするということが苦手でなりません。そういいながら、自分自身さえままならない中で、心身を削ってしまうことを続けて来ているので、他人との距離感を上手に保てていません。

 ヒーローでありたくない

年齢を経てもなお、自己犠牲を自分に強いてしまう私にとっては、貢献とか、友情とかというのはとても重たく感じるものなのです。一方で責任とか信頼を大事にすることも多々あって、このあたりはルフィと似たところがあります。

ルフィと違うのはその責任とか、貢献とかがたまらなくうっとうしく感じているところですね。この不快感を思ったように表現できなくてついつい「人間嫌い」といって、顰蹙を買うのがこれまでの私のパターンでした。

だからかもしれないんですが、誰よりも自由になりたいというルフィが、誰よりも仲間想いというのが自分的にはどうも納得がいかないのです。その距離感をどう保っているのか?一見すると矛盾しかねない両方の信念をどうやってバランスをとっているのか?超人(ゴム人間)でありながらヒーローではない(ヒーローになることを嫌う)点も私には共感が持てるはずの要素でありながら、これがどうもしっくりこないのです。

正直私もヒーローにはなりたくありません。表に立って目立つ行為というのが個人的にはどうしても好きではなくて、たびたび表舞台にたつよう言われても固辞し続けています。私の中では自由と責任逃れはイコールになっていることもあって(偏見であることは十分承知してますが)、ヒーローでありたくないというルフィにはなんか嫌な感じがするのです。

超人的能力者はその力ゆえに孤独だし、仲間を作れないでいます。人とは違うという理解されがたい違いも責任も闘いもすべて一人でしょいこんで、自ら辛い道のりを歩んでいく・・・これが私の理想とするヒーロー像です。

 群れからこぼれる人間

そこへいくと仲間の違いを認め、信頼する仲間の力を借りてでも自分のしたいことをしていくというルフィは新しいキャラクターなのでしょう。仲間を作らない、群れない、孤独・・・・そんな影などない主人公というのがこの時代には求められているのかもしれません。

そういうことでいうなら依然として主人公に孤独の影を見ようとする私の感性は古いといってもいいのでしょうね。その古い感性からするとルフィのような登場人物はどうしても好みに合わないのです。果たして孤独という影を背負わない主人公が本当に主人公としての責任を背負っているのでしょうか?私にはどうしてもそうは思えなかったのです。

人間は一人では生きていけないといいます。でも群れからこぼれる人間は一定数います。その原因はいじめだったり、あるいは個人が無理矢理集団に合わせていたり、といろいろあるでしょう。私は集団というものからこぼれて一人になりました。

いじめもあったし、パワハラ等もありました。そんな中でもともと一人になっている感覚がありましたから、集団でいるときは息苦しさを感じていることが多かったのです。自分勝手といえばそれまでですが、自由というのはいたいときに集団にいて、そうでないときに一人になれる状態をいうのではないのかな、と私は思っています。

 主人公には強がってほしい

一面で自分のできないことは仲間のスキルを借りてやるということでは、ルフィの人間関係は非常によくできていると私も思います。しかし、群れることが同時に息苦しく感じることもまた事実なのです。

そういう時に海の上だと自由に冒険からもおりられないし、途中で投げ出すこともできません。そこまでできて本当に自由と呼べるのではないかと思います。また何度も言うようですが、自由、自由といいつつ、ルフィたちの行動は友情・努力・勝利の方程式から、外れることがありません。

特に友情なくしてワンピースの物語は成立しませんから、そうなると、私なら個をとるか、自分をとるかという葛藤がおきても不思議ではないでしょう。

理想を言うなら考えずに感じて動けるルフィは確かにすごいと思います。でも私はやっぱ主人公にはどこまでも強がってほしいのです。そしてギリギリでもうどうにもならなくなったときにはじめて仲間に救いを求めてほしいのです。

もちろん私の考える自由とルフィの自由は違っていていいのですけど、ルフィの考える自由は私のとっては共感できない自由なんだなというのをいまさらながらにして気が付かされました。

だとするならば、ルフィの自由を私が好きにならなければならない理由もありません。私の自由は他人や仲間のためにあるわけではありません。よって私とワンピースは永遠に相容れないのです。

 

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