[映画鑑賞記] 宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち第6章回転編
2019/03/02
不朽の名作SFアニメ「宇宙戦艦ヤマト」をリメイクした「宇宙戦艦ヤマト2199」の続編となる「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の第6章(第19~22話の計4話で構成)。ヤマトが沈み、波動砲艦隊も壊滅的な打撃を受け、強大なガトランティスを前になす術をなくしたかに見えた地球人類。しかし、ヤマトの意志を受け継ぐ新たな宇宙戦艦、ヤマト級「銀河」が、かつて地球と戦ったガミラスの艦隊とともに出撃。圧倒的な数を誇るガトランティスに対し、地球・ガミラス連合軍は時間断層工場をフル稼働し、徹底抗戦の構えを見せるが……。(あらすじは映画comより)
相対的に詰め込みすぎ?
なぜか第5章から公開になって、テレビ版の放送もネットしていない福岡・山口地区。頼みの綱はネットだったのだが、それもないということで、仕方なしに劇場に行くしかない、という状況。一抹の不安はヤマト型三番艦「銀河」の微妙(に見える)デザインだったが、ともかく行ってみることにした。
第5章ではあまり出番がなかったパイプオルガンも今回はたっぷり聞けてこれがまあ満足度の高い点ではあったのだが、銀河のデザインは正直微妙だった。動いているとそこまでおかしなデザインには見えなかったし、東堂長官の娘でもある藤堂早紀はいいキャラクターだっただけに、ちょっと今回のストーリーにねじ込まなくても、番外編的扱いでじっくり描いてほしかった。相対的に今回はちょっと話を詰め込みすぎた印象があった。
で、今回感心したのは三点。
①ガミラス人と地球人、そしてガトランティスの立ち位置をより深く掘り下げ、ドラマ化している
②土方艦長と山南艦長とのドラマ
③ヤマトに対するデスラーの立ち位置
泥水をすすってでも生き延びる
①は第5章でも核心に迫る描写はあったのだが、ガトランティスがオリジナルの「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」や「宇宙戦艦ヤマト2」とも異なる設定になっている。
オリジナルでは単なる侵略国家にすぎなかったガトランティスに意味を持たせた点が、「宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち」の優れたところである事は、今更言うまでもないだろうが、第6章ではさらなる深掘りが施してあり、ガミラスや地球との明確な対比がなされている演出が非常に興味深い。
②は、まさに「宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち」の骨子になる部分だろう。船と共に死のうとする山南と、作中に出てくるセリフ通り「泥水をすすってでも生き延びる」姿勢をみせた土方を対比させた事で、物語に深みをもたせている。とにかく第6章の山南さんは格好いい!「ヤマトよ永遠に」の山南さんとは全く別人に思えて仕方ない(笑)
山南艦長の例を挙げるまでもなく「宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち」では個々のキャラクター描写を掘り下げるという演出を意図的に行っているが、多分愛をテーマにした以上、そこは避けられなかったということになるだろう。
2202は「もはや別物」
敵にもそれ相応のストーリーがあってこそ。今なら当たり前だが、約40年前は描く必要もなかった。それだけ時代は複雑化しているのだ。とはいえ、冒頭に書いたように東堂親子の話や、山南&土方館長の物語、さらには森雪の記憶喪失まであって、正直出来事を追いかけるだけで精一杯というところもあった。
③は、総統なきあとのガミラス政府と地球が和平を結んでいる状況がまずあって、ガミラスの将来を誰よりも憂いていたデスラー総統が、孤立無援の中、ヤマトに立ち向かっていく。その中で甥でもあるキーマンとのドラマも非常に見ごたえがある。
とまあ、「宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち」はほぼ「さらば宇宙戦艦ヤマト」とも「宇宙戦艦ヤマト2」とも大きく異なっているので、2202に関していうならば「もはや別物」と考えてみた方がいいように思う。
だからこそ、結末をどう持っていくのか?オリジナルの「新たなる旅立ち」以降のヤマトは果たしてリメイクされるのか?興味は尽きない。そもそも第6章で森雪の記憶を失わせるという結構なフラグをたてた以上、本当に3月の第七章で終わるのだろうか?という不安もなくはない。さて、お手並み拝見ということで、来春を待ちたいと思う。