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[映画鑑賞記] GODZILLA 星を喰う者

2018/12/03

最終章、人類の眼前に<終焉の翼>が舞い降りる―――。

アニメーション映画『GODZILLA』(通称:アニゴジ)がついに最終章を迎える。

二万年後の地球で繰り広げられた、<ゴジラ>とそれに抗う人類の物語。最終章『星を喰う者』では、超科学が生み出した<メカゴジラシティ>をも焼き尽くし、地上の覇者となった究極の生命<ゴジラ・アース>と高次元怪獣<ギドラ>が相まみえる。

『アニゴジ』の誕生は2017年。これにより『ゴジラ』は新たな領域へ足を踏み入れた。同年11月公開の第一章『GODZILLA 怪獣惑星』はゴジラ映画史上初の3DCGアニメーション作品であり、その映像体験は大きな驚きと称賛をもって迎えられ、第二章『GODZILLA 決戦機動増殖都市』は、アニメーションならではの<メカゴジラ>の新解釈で観客を圧倒した。

そして最終章では、虚空の神<ギドラ>と破壊の王<ゴジラ>がついに激突。戦いの果てに待つのは、人類への啓示か。

監督は、昨年公開の劇場版『名探偵コナン から紅の恋歌(ラブレター)』で邦画年間興行収入ランキング1位を獲得し、確かな演出力を遺憾なく発揮する静野孔文と3DCGの第一線で培われた手腕を『シドニアの騎士 第九惑星戦役』、『亜人』、『BLAME!』で磨きあげ、余すことなくその魅力をフィルムに焼きつける瀬下寛之が務め、両者の最高のコンビネーションは最終章でも見事に発揮されている。ストーリー原案・脚本は、『魔法少女まどか☆マギカ』や『PSYCHO-PASS サイコパス』などで知られる虚淵玄が担当。観る者全てを出し抜く突破力抜群のアイデアに今作でも驚かされるのは間違いない。

制作は米国エミー賞最優秀賞(デイタイム・エミー賞アニメーション番組特別部門最優秀賞)を4度受賞を果たし、直近では「スター・ウォーズ」シリーズの最新アニメーション作品「Star Wars: Resistance」を手掛けるなど、国内外から高い評価を得ている3DCGスタジオ、ポリゴン・ピクチュアズ。(あらすじは公式HPより)

「怪獣プロレス」を期待していた

アニメゴジラ三部作、一応ゴジラ映画全てに目を通してきた身としては、Netflixに加入していようがいまいが、全部劇場で観るつもりでいた。だから今回も迷わずに足を運んだ。なんといっても今回はキングギドラが登場するわけだし、第1部で圧倒的な強さを見せたアニメ版ゴジラに対して、ギドラがどれほどの強敵として描かれるのか?

第2部で描かれたメカゴジラについては、言うてもまあ「メカゴジラだし」という気持ちもあったから、それほど落胆はしていなかった。とは言うものの、メカゴジラシティという斬新なアイディアに感心しつつも、どこかで「怪獣プロレス」を期待している自分がいた。

実は本編が始まる前の予告編で、来年のハリウッド版ゴジラの予告が流れたのだが、これはもう「日本特撮が放棄した怪獣プロレスをたっぷり見せてやるぜ!」という意気込みがひしひし伝わってくる映像だった。

とは言っても、やはりハリウッドはハリウッド。日本で作られる以上日本産の意地を見てみたいという気持ちもあったから、全く期待していないわけでもなかった。

正直成功したとは言い難い

だが、残念ながらゴジラ三部作は最後まで付き合った限り、私には正直成功したとは言い難かった。その理由を思いつく限り並べてみよう。

①ゴジラ対人類という軸がぶれていた
②ゴジラを利用した人間ドラマが退屈だった
③怪獣プロレスがその体をなしていない

あげてみて気づいたのだが、殆ど第3部「星を喰らうもの」に対する不満だった。

①に関して言うと第1部に関しては比較的丁寧な描写がなされていたし、二部でもメカゴジラの扱いがアレではあったが、まだ人類対ゴジラの対立軸は明確だった。しかし第三部ではハメトフィエスとの観念論に終始し、肝心のバトル部分が見せ場になっていない。特にこれは後でも述べるが、ギドラが異世界から来た割には絶対的恐怖にかけているし、何より首しかでてこないというのは、怪獣バトルを期待した私からすると、残念で仕方なかった。

②はある種、怪獣バトルが盛り上がらなかった要因の一つで、ここに力を注いだ割には、退屈極まりなく何度も寝落ちしそうになった。観念論はいいからゴジラを倒しに行けよ!と何度思ったか。メトフィエスの陰謀とやらも、ただギドラを償還するだけだったのか?もっと大きなことを考えていたのかは定かではないが、何をしたかったのかがあまりに曖昧過ぎる。

オリジナルへの敬意や愛は・・・・

そうはいっても③の部分さえきちんとしていたら、まだまるで印象が変わっていたに違いない。ところが、今回出てくる怪獣たちはゴジラを除くと、人間ありきの存在になっているため、どうもしっくりこないのだ。そもそもあれだけになるまでゴジラを放置したくせに、ギドラを三部で急に召喚してしまうあたりも、無理やり感がある。

でも、せっかく出したんならギドラを首だけの存在にしなくてもよかったのではないか?ゴジラはオリジナルの鳴き声なのにギドラの鳴き声は改変されていたのも残念だった。このあたりにオリジナルへの敬意や愛が足りない感じがしたのは、私の思い込みではないと思いたい。

何よりギドラとの対決が一区切りした後、唐突に人間対ゴジラに筋を戻すかのように、ハルオをゴジラに特攻させた意味は一体何だったのか?ハルオって結局死ぬためにだけでてきたのか?正直意味が分からなかった。結局ゴジラは地球に居座ったままだし、問題は何一つ解決されていないまま、放り投げ式にエンディングを迎えてしまった点は正直納得がいかない。

この借りは正直「ハリウッド版」に返してもらうしかないんだけど、アニメ版がこのようなありさまで終わってしまったのはなんとももったいない。プレスコ方式で声優さんの重厚な演技が楽しめたことや、テレビシリーズと違ってポリゴンピクチャーの濃厚なフルCGを楽しめただけに、特撮愛とアニメにしかできない表現をもう少し突き詰めてほしかった。なんでもかんでもバッドエンドにすればいいというものではない。そういう意味では期待させるだけさせておいて、置いてけぼりを喰らったようなそんな感じさえしてしまったアニメ・ゴジラ三部作だった。

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