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[アニメ感想] 2018年春アニメ完走分感想文 メガロボクス

肉体とギア・テクノロジーを融合させた究極の格闘技―「メガロボクス」にすべてを賭ける男たちの熱い闘いがはじまる!

今日も未認可地区の賭け試合のリングに立つメガロボクサー“ジャンクドッグ”。実力はありながらも八百長試合で稼ぐしか生きる術のない自分の“現在(いま)”に苛立っていた。

だが、孤高のチャンピオン・勇利と出会い、メガロボクサーとして、男として、自分の“現在(いま)”に挑んでいく―。

本作は気鋭のクリエイター・森山洋の初監督作品。『進撃の巨人』のビジュアルコンセプトや、『甲鉄城のカバネリ』のコンセプトアートなどで、圧倒的なビジュアル表現を構築してきた森山が、構想4年をかけて『メガロボクス』を創り上げる。脚本は邦画・ドラマ作品を中心に活躍する、真辺克彦と小嶋健作。“闘わずにはいられない男たち”を、緊迫感のあるアクションシーンを織り交ぜながらハードに活写する。音楽は、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやプロデュースの他、自身もドラマー、シンガーとしても活動するアーティスト・mabanuaが手がけ、重厚な作品世界を彩る。

主人公・ジャンクドッグに細谷佳正、宿命の男・勇利に安元洋貴。双璧をなすふたりを筆頭に、斎藤志郎、森なな子、村瀬迪与、木下浩之らが熱いドラマを織りなすキャラクター達に命を吹き込む。

不朽の青春漫画『あしたのジョー』連載開始50周年に放たれる、オリジナルTVアニメーション『メガロボクス』。受け継ぐのは、その魂―。(公式HPより)

メガロボクスとボクシングの差

あしたのジョー連載開始から50年を記念して制作されたアニメ。リメイクということではなく、あくまで「翻案」ということらしい。しかしながらAKIRAとあしたのジョーを足して2で割ったようなサイバーパンク感は、原作にもないところ。

加えて、アニメ版あしたのジョー2では、時代性もあって削除された「ドサ回り」のストーリーが地下格闘技という形で再現されており、これには意表をつかれた。

ここに、力石にあたるキャラクター・勇利が登場し、のちにジョーと名乗るジャンクドックと初めてこぶしを交えるのだが、このイントロ部分は非常によくできている、と私は思った。元ネタを知っていても違いがたのしめるし、知らなくても楽しめるというのが、翻案された作品のキモで、メガロボクスはそこをうまく掬い上げている。

ただ、肝心のメガロボクスとボクシングの違いが明確に描かれていない点はやはり不満が残るし、ギアレスジョーがギアをつけた時点でのカタルシスも期待したほどはなかったのが残念。

名作の入り口になれば…

やはりメガロボクスにおけるギアというもののあるなしで、何がメリットで、何がデメリットなのか。生身で行うボクシングとの違いは何なのか、が明確に描けていないと、観ているこちらは混乱してしまう。最終回で一応「ギア」が何目的で作られたのかがはっきりするのだが、それをボクシングに絡める理由は弱かったと思う。

あしたのジョーとの差別化に腐心するあまりに、肝心のメガロボクス自体がぼやけてしまったのであれば、これこそ本末転倒。そもそもメガロボクスがよくて、なぜ生身のボクシングではダメなのか?そう言った描写にも乏しい。

アイディアとしてはギアの導入に、近未来感という着眼点はよいのだが、それが活かし切れていないのは、なんとも惜しい。とはいえ、あしたのジョーであってジョーではない着地点としては「これしかない」最終回だった。

なんといってもこういう「渋い」アニメは近年なかなか登場してこなかったし、有名な「燃え尽きる」ことにこだわらなかったという点では新しさも提示できたと思う。

確かにあしたのジョーを知る世代にとっては物足らなさを感じるかもしれないが、ジョーを知らない世代にとって、名作への入り口になるのだとしたら、「メガロボクス」は作られた意味があったと思う。

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