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[映画鑑賞記] 秒速5センチメートル

17年11月4日鑑賞。

東京の小学校に通う遠野貴樹と篠原明里は互いに「他人にはわからない特別な想い」を抱き合っていた。小学校卒業と同時に明里は栃木へ転校してしまい、それきり会うことがなくなってしまう。貴樹が中学に入学して半年が経過した夏のある日、栃木にいる明里から手紙が届く。それをきっかけに文通を重ねるようになる2人。

しかし中学1年の終わりが近づいた頃(1995年)に、今度は貴樹が鹿児島へ転校することが決まった。鹿児島と栃木では絶望的に遠い。「もう二度と会えなくなるかもしれない……」そう思った貴樹は、明里に会いに行く決意をする。(あらすじはwikipediaより)

最初に感じた「違和感」

この映画を最後に見たのが、たぶん心と身体をぶっ壊して寝たきりになっていた時代だから、もうかれこれ7~8年前になるだろうか?たぶん、私が一番共感した場面というのが、第一話と第三話の主人公である貴樹が東京に出て、心をすり減らすシーンだった(結局、初恋をこじらせた貴樹は会社を辞めてしまう)。

正直貴樹の初恋の人である明里と、第三話ですれ違う場面はそれほど印象にないというかどうでもよかったのだが、今回見直してみたのは、「秒速5センチメートル」を最初に見た時に感じた違和感のもとはなんだったのだろうか?ということだった。

そして思い当たる節は意外とあっさりでてきた。

①会話劇が主体になっていること
②音楽の使い方がかなり意図的
③これらがすべてフィクションとして作られていること

という3つである。

ではひとつづつ説明していこう。

三ツ矢雄二さんの存在

①の会話劇というのは、絵で説明できない部分をセリフで補うというモノローグが主体になっている。このモノローグと主人公たちの声優声優したしゃべり方を封じた演出って既視感があるなあと思っていたら、ひとつの作品にぶつかった。

それは1996年に放送された「水色時代」という作品である。ノンクレジットだが、この作品で音響監督を務めていたのが三ツ矢雄二さんである。実は新海作品では「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」「星を追う子ども」の3作品で、三ツ矢さんは音響監督を務めている。

このモノローグ風の語りが多いという点で、三ツ矢演出は極めて当時の新海作品と相性が良かったと思われる。加えて人生における「青臭さ」を多彩に引き出したということでいうと、おそらく新海監督だけではなしえなかった仕事ではないだろうか?と私は想像している。

そして「言の葉の庭」以降の新海作品に三ツ矢雄二さんの名前はない。ということで、三ツ矢さんというある意味「グレーゾーンの感性」がいたことで、「秒速」が単に青臭いだけのドラマには終わらなかったのではないかと、私はにらんでいる。

②については、RADWIMPSの全面参加による「君の名は。」と、すでに既存の別映画(月とキャベツ)のテーマ曲であった「One more time, One more chance」を流用した「秒速」とでは大きな違いがある。

今回見直して気が付いたのだが、「One more time, One more chance」は3部構成になっている一部と三部で主に使われている。しかも二部では、あえて主人公を貴樹ではなく、貴樹に思いを寄せる花苗を主人公としていることで、劇中ではLINDBERGの「君のいちばんに」とみずさわゆうきさんの「あなたのための世界」が使用されている。もはやタイトルだけで失恋フラグがたっているようなものだが、ここまで露骨なフラグでありながら、そこまで嫌味な感じはしないから不思議なものである。

成功体験をこじらせた

話はいささか脱線するが、かつて「非モテ」だったり「ぼっち」だったりした人間はもうそれまでの自分には戻れないと私は思っている。一度でも恋が成就したなら、それは既に人生の別なステージに進んでいってしまっているのだ。「秒速」でいうと貴樹と明里は「次のステージ」にいっており、恋愛が成就しないままの花苗は、貴樹とは別なステージにいる。第二話ではそんな花苗と貴樹が「別な次元」にいることをほのめかすシーンもみられて、今回見直してこの場面が一番ぐっときた。

私の人生を振り返ると、「秒速」の1話の状況をすっ飛ばした2話と3話でしか心に刺さらなかったため、一話だけは今回見ても感情移入はできなかった。一度でもうまくいったからこそ、貴樹は成功体験が忘れられなくて?結果、花苗の気持ちにも気が付けず、桜の花びらが散る中で、無残にぼっちになっていくのだけど、私からするとそれそら自業自得にみえてくるから不思議だ。

たぶんこの映画に共鳴している人は「一度の成功体験をこじらせてしまった大人」であって、最初から成功したことのない私のようなタイプの人間ではない。「秒速」を最初に見た時に感じた違和感はたぶんこれだったんだと今ならわかる。だいたい私にとって人の恋愛ごとなどどうでもいいし、成功体験などは、なおどうでもいいからと思っているからだ。

私は花苗と同じく、恋愛が成就しないまま拗らせた大人なので、同性である貴樹よりも、花苗のドラマに共感する。だから「One more time, One more chance」よりも「君のいちばんに」の方が心に刺さる。

「One more time, One more chance」が新開誠のお気に入りと聞いた時、私は「この監督は私とは違うステージにいる人だ」という直観めいたものが働いた。実際そうだとも思うけれど、通常上のステージに行くと、階下でこじらせたことは忘れがちになるものを、主役ではないとはいえ、しっかり花苗という主人公を生かして、きっちり一エピソード(2話)を使って描き切っている点で、「ただものではない」という思いも抱いていた。

私が想像するに、新海誠自身もおそらく「成功体験」をこじらせているからこそ「君の名は。」みたいな作品を作ることができたのだろう。そして「君の名は。」がヒットしたということは、成功体験をこじらせてしまった人間が思いのほか、この世界には多かったのかもしれない。さてそんな「こじらせ人間」である新海誠が「君の名は。」という「成功体験をこじらせるかもしれない次回作」がどんなものになるのか?それも実は楽しみで仕方ないのである。









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