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アニメ好きが高じて色んな感想を書いている老害オタクのブログ

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[トークショーレポート]山田ゴロ先生トークライブ「山田ゴロとブチ素敵な仲間達(16.10.9シーモール下関)

チラシをみつけたのが前日。たまたまシーモールを通った時にみつけた告知をみて、参加を即断!山田ゴロ先生といえば、テレマガ(テレビマガジン)派だった私でさえ一目おくテレラン(テレビランド)の巨匠。師匠、石ノ森先生の柔らかなラインを踏襲しつつ非常にユーモラスで可愛らしい絵を描かれるマンガ家さん。なんといってもコミカライズ全盛期において多数の作品を残された偉人です。この時代のコミカライズは基本テレビや原作とは異なるストーリーが当たり前で、作家の数だけオリジナルな話がたくさんあったとてもカオスな状況にもありました。

登壇された山田ゴロ先生は白髪に髭を蓄えた仙人のようなお姿で、非常に気さくな感じの方。漫画家になったきっかけは三人いる兄弟のなかで一番絵が下手だった自分が負けたくなくてずっと続けていた結果だそうです。そして自分が漫画家になることは疑いもしなったという。このあたりがまずすごいが、お住まいの岐阜にはマンガを持ち込める編集部がなかったので、とりあえずローカル新聞紙の編集部を尋ねたところ、たまたま将来に夢をもっている高校生の特集を組むということでなんといったばっかりで見開き記事になって掲載。これで一気に地元では有名に!

それをみた学研の編集部から高1コースの原稿依頼が来て、7ページ掲載だれ、さらにお父さんの知人の弟である山本順也氏が「週刊少年サンデー」の副編集長から「少女コミック」の副編集長に異動し、山本氏に漫画を見てもらえるという話が父経由で来たので、お父さんのバイクに乗って原稿を見せに行かれたのです。お父さんは酷評で漫画家志望を断念させるつもりだったそうですが、山本氏は「漫画家になれる。高校卒業したら上京しなさい」と断言してしまいます。その間ゴロ先生は学校の休みの間に上京しては色んな漫画家さんの仕事場にいくことができたそうです。その中で少年チャンピオンに「750ライダー」を連載していた石井いさみ先生の所に行ったとき、原稿をみてもらったら、先生が「どう思う?」と仕事場のアシスタントにゴロ先生の原稿を渡しました。するとアシスタントは「ああ、いいんじゃないですかね」という答え。なんだえらそうなやつだなとゴロ先生は思ったそうですが、そのアシスタントさんがのちのあだち充先生だった!すげえ!ちなみにゴロ先生は高校時代応援団にいて、高校野球の応援をしてからアシスタントにいっていたので屋内仕事の漫画家の中にあって筋骨隆々の色黒というかなり目立つ新人だったんだそうです。

で、両親が完全に許してくれないまま、高校卒業式の3日後に上京。山本氏を訪ね、中城けんたろう先生のアシスタントになったのですが、この中城先生はかなり豪快な方で、あの梶原一騎先生と互角に渡り合える「強豪」。ある日、中城先生に編集部から原稿の督促がきて「今から(仕事場に)向かいます」と電話が入ったため、先生から「おい、山田、外の様子をみろ」と命じられ、編集さん(女性)が向かってくるのを確認させると「よし、逃げるぞ」といって全員で森の中に逃げ出してしまったのです。編集さんは当然おいかけてきたので、全員で木の上に登って逃げました。木の下からなおも原稿を催促し、木をゆする編集さんに中城先生は「礼儀としてついてから連絡するやつがあるか!一回編集部に出直して改めて電話をかけてから来い」というよくわからない理屈で何とか帰ってもらったらしい。ゴロ先生は「俺こんな木の上で何をやっているんだろう」と思っていたらしいのだけど、そのあと改めて電話をかけなおして編集さんが来た時にはちゃんと原稿はしあがっていたそうです。

中城先生はウルトラマンも描いていたことがあるのですが、だんだん先生が描くスペースが減っていきついにはウルトラマンは殆どゴロ先生に任されたのだそうです。「いいんですか?」と師匠に尋ねると「いいんだよ。ウルトラマンは表情ないんだから誰が描いてもおんなじだ」と中城先生。こうして山田ゴロ先生はコミカライズ作家として仮面ライダーとウルトラマンの両方を描いた稀有な作家さんになったのです。

で、石ノ森プロへいったのは「自分は(中城先生のような)劇画がやりたいのではなく、ギャグ漫画が描きたい」と先生に筋を通して移籍。このあたりも骨太な感じがしていいですね。もともとギャグがやりたかったということでロボコンはもっとも思い入れのある作品になったそうです。とはいえ、当初はもう少しロボコンをお行儀よく描いていたらなかなか編集部のOKがでず、ついにやけくそになって作った原稿がOKになって以降は、ハチャメチャなロボコンを描くことができたそうです。そういえばゴロ先生のロボコンは石ノ森先生のロボコンとはまた違ったうユーモラスな点がありますね。

もともと反骨精神が旺盛だった若き日のゴロ先生の骨太なスピリットがいかんなく発揮されたのがスーパーマリオのコミカライズでした。なんせ原作でもある任○堂からの注文がものすごく細かくて、あまりの細かさに辟易していたゴロ先生は反発してピーチ姫を当初のお姫様キャラから一転わがままお嬢様にしてしまうということまでやってのけたそうです。

面白話は尽きないのですが、漫画ライブの時間ということでゴロ先生は中座。その場でイラストを描いて生原稿をプレゼントしていただけることに。ここに飛び入りで徳山大学のなかはらかぜ特任教授が乱入。しきりにゴロ先生の作画スピードに感嘆。ゴロ先生の着色は水彩絵の具。先生曰く「コピックは紫外線に弱いため、長持ちさせるには水彩がベスト」とのこと。勉強になったなあ。

ところが司会陣はなぜか超合金の話になってなぜかロボパーしか買ってもらえなかったという流れに。ロボパーというのは簡単にバラバラになっちゃうロボットなんだけど、これが不人気だったらしく結構余っていた・・・・とかいう話をしていたらライブ後のゴロ先生曰く「ロボコンのキャラクターは石ノ森プロの人間が作ったもので、ロボパーをデザインしたのは私」という話をしだしたからさあ、大変。もちろんゴロ先生のジョークではあったのだが、まさかロボパーのデザインした人の前でロボパーをdisることになろうとは・・・・。司会陣はしきりに謝ってました。

そしてじゃんけん大会の前にもうひとりの乱入者が登場。地元下関在住の文月今日子先生が登壇!なんと豪勢なトークショーでしょう!じゃんけん大会ははずれたけど、少女漫画界のレジェンドとコミカライズの巨匠との2ショットなんてそうそう拝めるものではないですからね。本当に眼福でした。最後は2ショット撮影会で締めとなりました。いや、幼少のころに散々読んでいたマンガの作者と2ショットが撮れるなんてなんて「いい時代になったんだろうと感激しきりでした。

そうそう肝心の展示ですけど、やはり生原稿は素晴らしかったですね。石ノ森作品とはまた異なった味わいがあって素晴らしかったですね。中でも地獄大使の肖像画は、数あるコミカライズの中でももっとも故・潮健児さんの雰囲気に寄せていたように私には見えました。

遠くは小笠原からの参加者もいて本当オタクの情報網と、熱意はすげえなあと思いました。同じ東京都の方がこうしたイベントも多いだろうに。しかも無料のイベントに高い交通費をかけてやってくるなんて!その熱意に感激もしてました。年齢的にはさすがに同世代とわかる人間が多かったせいもあって非常に居心地のいい空間になってました。

本当楽しい時間はあっという間。数あるイベントを蹴ってこのトークショーにいけたことは本当に幸運だったし、一生忘れられないものになったと思います。ありがとうございました。

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