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[映画鑑賞記] この世界の片隅に

2019/12/28

17年11月25日鑑賞。

1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、ついに1945年8月を迎える。(あらすじはYahoo映画より)

やるなら劇場アニメで

こうの史代さんの作品では先に「夕凪の街、桜の国」が実写映画化されている。悪い作品ではないのだが、原作に比べるとなんか綺麗な印象しか残らないと私には感じられた。

その時から私は「こうの史代作品はぜひアニメでみたい」と思うようになっていった。しかし、あの内容をテレビでやるのは不可能だし、やるなら劇場アニメでしかないだろう、とも考えてるいた。だが、いかんせん内容が内容だし、ああ見えて意外と手間がかかりそうな絵柄と、企画自体が通りにくい可能性がある。

そこで製作側が打ってでたのがクラウドファンディングという手段。制作費を一般からの寄付で賄うかわりに、エンドロールに寄付したひとの名前が流れる仕組み。これにより運転資金の目処がついたことが大きかったのだろう。結果的にこの後押しで作りたい映画が作られて、ヒットにも繋がった。シン・ゴジラから君の名は。、さらに聲の形といった邦画ヒットの流れにものれたタイミングもよかった。

徹底したリアル

さて、先んじてヒットを飛ばした「君の名は。」とは同じアニメ作品として本作は何かと比較されている。だが、内容は勿論作品の性質的にも両作品は趣を異にしている。例えば背景。「君の名は。」では新海監督のこだわりで計算され抜いた美しくて、印象的な、時に非現実的なくらいの鮮やかな背景画が、観るものをフィクションの世界に誘う役割を果たしていると私は思う。

対して「この世界の片隅に」は、徹底したリアルを追求している。それもおそらくだが、主人公すずさんが体験しているであろう空気感まで伝えんとしているかのように私には感じられたのだ。それも気持ち悪いくらいに現実感があるのである。

これが新海流の背景だったらここまでは伝わらないだおるし、逆に「君の名は。」で、「この世界の片隅に」の背景のような文法が使われてもやっぱり興覚めになるだろう。このように背景一つとっても「君の名は。」と「この世界の片隅に」は比べようのない映画だということがおわかりいただけるだろう。

当たり前でなくなっていく日常

もうひとつ、「この世界の片隅に」の背景で注目したいのは、すずさんが描く一見するとほんわかした絵の凄味である。写実的とも違う、すずさんというフィルターを通した呉や広島の町並みは、私にとって写真以上に奇妙なリアリティを感じられたのだ。

そのリアリティを最も端的に表していたのが、すずさんの描いた広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)のスケッチである。あれは仮に「この世界の片隅に」という映画が実写だったとして、これを実際に描いた絵としてみてみたら印象はまるで変っていたと思う。

戦前には当たり前にあったものが当たり前でなくなっていく日常。これを表現するのにはやはりこの作品はアニメでないとだめだったと私は思う。

戦災で絵を描く右手を失ってしまうすずさんの絶望は、同じ絵を描く人間として痛すぎるくらい辛いものを感じた。すずさんの体験とシンクロしてみていた観客も多かったらしい。そのくらい迫真に迫る作品であったのと同時に、作り物だから真実に迫れるものもあるのだということを、私に教えてくれた映画だった。

わずかだけど4年の間、実際に広島に住んでヒロシマを体験した人間としてこの映画は決して避けては通れなかったし、さけないでよかったと思う。本当に素晴らしい映画だった。

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