プロレススーパースター本烈伝・プロレス喧嘩マッチ伝説 あの不穏試合はなぜ生まれたのか?
前書き
筆者はこの本で”ストーリーライン”という言葉を使って幾度も表現している。
“ストーリーライン”とは物語全体の流れという意味で何らかの形で始まったドラマが、落とし所としてひとつの結論に向かって進む流れというものが、プロレスにはあるのではないかと考えている。
だがプロレスには時として時にはその枠組みからはみ出してしまう事例がある。
その中の一つが不穏試合シュートマッチと呼ばれるものである。(「はじめに」より抜粋・引用)
気持ちがいいとは
私自身 YouTube やブログで不穏試合を取り上げることはある。
だが。正直言って、動画などでその内容を見てみると、どうしても気持ちがいいとは思えない。
ルールのある喧嘩
やはりプロレスの枠組みの中で面白いと思える試合は、ルールのある喧嘩なのだ。
まさに力道山が提唱した「ルールのある喧嘩」という言葉通りではないかと思う。
見たいとは思わない
この「ルールのある喧嘩」というところが大事なところで、ルールを破ってしまった喧嘩というのは、非常に後味が悪く見ていて面白いものではない。
少なくともエンターテイメントという枠組みからは外れてしまっている。
だからお金を出してまで見たいとは思わないというのが私の持論である。
「喧嘩マッチ」は別
「プロレス喧嘩マッチ伝説 あの不穏試合はなぜ生まれたのか?」に書かれているような、不穏試合・シュートマッチというのを私は好まないけれども、「喧嘩マッチ」は別である。
「プロレスは戦いである」と言うのであれば、それは決して不穏試合やシュートマッチといったものが当てはまるとは思えない。
そのことはお分かりいただきたい と思う。
プロレスの一ジャンル
著者のジャスト日本氏も
喧嘩マッチと不穏試合及びシュートマッチは混同されることがあるが、筆者個人の見解として喧嘩マッチは不穏ではなく、プロレスの一ジャンルではないかと考えている。
(中略)
プロレスという枠組みの中でプロ同士がプロレスを喧嘩という形に昇華して行うのが喧嘩マッチだ。
と表記されている。
筋書きにはないドラマ
プロレスには「筋書きにはないドラマ」があるのは間違いないと私も思う。
まさに「プロレス喧嘩マッチ伝説 あの不穏試合はなぜ生まれたのか?」で書かれているのは、「プロレスに真剣に向き合う多種多様なプロフェッショナルの流儀」の結晶なのである。
不幸な産物
そしてシュートマッチや不穏試合はたまたまそれがすれ違ってしまった不幸な産物であるとも考えられるのだ。
その最たるものとして、私は小川直也対橋本真也戦をあげてみたい。
終わらせられていたら
最初は不幸な邂逅だった2人が時を経て盟友となり、ゼロワンやハッスルで行動を共にしていった。
負けたら即引退という縛りで「終わらせられて」いたら、その後のOH砲結成も、初期ゼロワンも存在しなかった。
点ではなく線
また破壊王の名言である「破壊なくして創造なし」も現実化しなかったのだ。
それを考えると、つくづくプロレスは点ではなく線で捉える特異なジャンルなのだな、と思わざるをえない。