プロレス的発想の転換のすすめ(93) 痛みとプロレス
当事者同士だけ
今回は痛みとプロレスのお話です。
極端な話、殴るか殴られるかでいうなら、痛みがわかるのは、当事者同士だけです。
第三者には
これは、プロレスに限らず広く格闘技においても同様で、本当に痛いかどうかは第三者には、わかりません。
しかし、お客さんを入れて試合をみてもらうというスタンスをとる、プロスタイルの競技になると話は別です。
表現者たれ
私はリングの上に立つ以上、ロープの中にいる選手は、単なるスポーツマンではなく、表現者でなくてはならないと考えます。
これも極端な話になりますが、リングの中で繰り出される技が、当事者にとって本当に痛いかどうかはさほど重要ではありません。
重要なのは
重要なのは、見ているお客さんに「痛ーっ!」「今のは痛いっ!」「痛そう」と思わせる事です。
これを他競技と比較しながら考察みたいと思います。
ボクシングでは
例えばボクシング。選手の拳はバンテージに覆われ、その上からグローブをはめています。
むき身で殴り合えば、殴られた方も痛いですが、殴る方にも骨折などのリスクが生じます。
スポーツとして
何より素手での殴り合いは、原始的で野蛮だと私は思いますので、これをスポーツの範疇には入れたくありません。
ボクシングは、拳以外の攻撃が禁じられていること、グローブ以外にも競技者への安全安心を配慮した上で、スポーツとして成立していると私は考えます。
プロレスの場合は
では、プロレスの場合はどうでしょうか?
一般的なプロレスのルールですと、顔面へのパンチは禁止になっていますが、ボディへの殴打は基本OKになっています。
KOする打撃は必要?
ここで問題なのは、プロレスにKOするほどの打撃が必要かどうかということですね。
私は、その打撃に「痛みが伝わる表現」がなければ、KOする威力があろうが、選手がくらって本当に痛かろうが、関係ないと思っています。
様々な表現を
もう一回繰り返しますが、重要なのは見ているお客さんが「痛ーっ!」「今のは痛いっ!」「痛そう」と感じる事なのです。
プロレスの場合、他の格闘技と決定的に違うのは、第三者に様々な表現を伝える必要があるところです。
そこには強さだけではなく、その表現方法も選手の評価には直結しているのです。