それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ〜健康と幸福の追求➉
2019/05/11
「こだわり」が強すぎると
私は、これまで自己紹介するときに、なるべく「無職」というようにしてきました。今現在、定職につかず、貯金を切り崩して生活出来ているし、あと数年は生活できる蓄えもある事が一つ。諸事情でフルタイムで働けないという理由が二つ目。自分の目指す方向には、健康と幸福であればいいというのが三つ目の理由になります。
とはいえ、最初から無職だったわけではありません。私が社会に出てからは、ほぼほぼブラックな働き方しかしてきませんでした。そこには、今なお好きな事ではお金が貰えないという強い思い込みもありました。
仮に思い込みがなかったとしても、自分のやりたい事で需要を生み出せるとも思えません。それを踏まえた上で、ここでは自分の考える健康と幸福について述べていきたいと思います。
さて、このブログは月一で更新することにしているのですが、以前のように毎日毎週課題が浮上してくるような事はさすがになくなってきました。しかし、月一くらいだとまだ問題が浮上してくるのです。というわけで今回は「こだわり」を題材にしてお話ししようと思います。
疾患や障害と診察されなくても、人には多かれ少なかれ「こだわり」というものがあります。「こだわり」が強すぎると自分が苦しいし、吐き出してしまうと周りを傷つけることもあります。
折り合いがつけられなくて
ボケる前の私の父のように「家族だから、血縁だからわかるだろう」「なぜ自分の事をわからないんだ」というタイプの方は、病気や障害と認定されなくても、割と普通に社会生活を営んでおります。
で、時たま自分の中にある「こだわり」と折り合いがつけられなくて、他人にあたってしまうケースもままあるわけです。うちの父なんて機嫌が悪くなるとすぐ声を荒げるタイプでしたが、本人には怒っているという認識は薄いんです。しかし、周りはそんな反応を好意的にみるわけではありません。どうかすれば排他的な流れになるのは、自然な事だと思います。実際、私も父を毛嫌いしていましたからね。
こうして自身のこだわりについて苦しんでいる人は決して少なくありません。しかもそれが近しい人間にほど理解されないとなると、かなり厳しいものがあります。ではどうしたらよいか、というとこれは至ってシンプルです。
①自分と他人は別な人間であること
②過去と他人は変えられないこと
③今ここに生きること
の3つがj自分自身で腹落ちできさえすればOKです。
思い込みに固執していると
が、しかし、ここで問題がでてきます。こだわりが強い方はそもそも自分のこだわりをなかなか手放せません。自分が変われば一番早道で問題解決につながるんですが、それもなかなかできません。ですから常に自分を無条件で受け入れてくれる他者を求め続けるのです。
変わる、変わらないというところまで行き着けば、あとはやるかやらないかだけなんで、ゴールも間近なんですけど、自分が絶対正しいという思い込みに固執しているレベルだと、まず本人が変わろうとするところまでいかないと解決への道は遠のくばかりです。仮にこのタイミングでカウンセリングを受けても上手くはいかないでしょう。
カウンセリングというのは万能ではありません。こだわりの強さが疾患レベルになれば、お医者さんとの連携プラス服薬が必須になります。その上で、私はこだわりと上手く付き合えるようにお手伝いしたいけれど、まだまだ実戦で効果的にできるようにはなれていないのです。
この辺はやはりまだ研鑽と反省が必要だと痛感しています。でも、だからこそ面白かったりもするんですけどね。