それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ〜生命力イラストができるまで〜 ⑨
なりたくてなるわけではない
私にとって「絵を描く」という行為は息をするのと同じくらい自然なことです。昔はこれがお金になれば幸せだと思っていましたが、ぶっちゃけお金になろうが、なるまいが、描いてる瞬間はたまらない充実感があります。ですから、割と絵で稼ぐ、という事には頓着していません。
このブログで描いていきたいことは、私が絵で表現したいことを文章化したものです。絵で全てが伝えられたら問題ないんですが、文章を書く事も嫌いではないので、蛇足ではありますが、自分で作品や絵に込めた思いをこれからつらつら語っていこうと考えています。
さて、本日は介護のお話をしたいと思います。空前の高齢化社会では、誰しもが我が事になりうる問題です。最も誰もなりたくて当事者になるわけではありません。私だって例外ではないのです。
先だって父が突然動けなくなりました。父は175センチ・75キロあるため、介助しようにも一人では当然無理なわけで、結局救急車を呼んで救急外来で診て貰ったところ、圧迫骨折していたことが判明しました。
問題はこれだけではありません。救急外来で応急処置してもらった後、父は動けるようにはなりましたが、救急車に運ばれたことも、骨折したことも綺麗に忘れていました。とりあえず以前申請した介護認定は、やり直さないといけないので、かかりつけ医や包括支援センターに相談したのち、再度市役所の担当に来てもらうことになりました。
いつ「その時」が来てもいいように
いずれこういう事態になるであろう事は想像していましたが、思った以上に早かったですね。両親ともに急激にボケたので、近々での介護保険認定のやり直しまでは想定していませんでした。
おそらく父は家の中で骨折したものと思われますが、本人が自覚も記憶もない状態では正直危なっかしいですからね。前回はまだ元気だったせいか、わがまま言いたい放題でやめてしまったデイケアも、リハビリと予防のために再開しなくてはなりません。
とはいえ全てにつきっきりになるのは私にとってデメリットしかありません。私には私のできる事を精一杯やる事しかできないわけです。まあ不測の事態に備えての(限りなく無職に近い)フリーランス稼業でいるわけなんですけど、これが一般的な勤め人でいた場合、間違いなく私の生活は破綻していたでしょう。
まあ、両親がこんな感じなんで、2018年はなるべく自分のしたい事を優先させてきました。タイムリミットはわからないけど、いつ「その時」が来てもいいように、悔いの残らない生き方をしたかったからなのです。
そして、できるなら来て欲しくなかった「その時」がついに来てしまったわけです。まあ、当面は見守り介護にはなるでしょうけど、「いざという時」の頻度は明らかに高くなるでしょう。
いざという時」に備えて
私が無職に近い状態で、将来的な事業計画も立てられないのは、全て「いざという時」に備えねばならないからです。また部屋を借りている小倉という場所は、「万が一」の時にすぐ戻るには最適な場所でもあります。
残念ながら、両親の介護ができる肉親は私しかいません。しかしだからと言って私一人が全てを抱え込むこともできません。助けてもらうところは助けてもらわないと、私自身が壊れてしまいます。それを理解した上で、できる限り後悔が少なくなるように生きていきたいのです。
介護はたしかに大変です。自分の時間だけを優先して考えにくいのもたしかです。しかし、だからこそ自分が主体的に生きる必要がでてきます。主体的に生きなければ、私が両親のために犠牲にならなければなりません。
しかし、それでは結果的に共倒れになるわけです。誰も得しませんし、よい人生を過ごせるはずもありません。私は私の人生を歩むために、自分のしたい事を最優先させますが、時に優先順位が変わることもあります。
全ての時間を介護に捧げる気は全くありませんが、全ての時間を自分勝手に使うつもりもありません。確かに大変な事ではありますが、自分の体験は後々決して無駄にはならないだろうという確信もあります。
これから介護にかかる時間的比重は大きくなっていくでしょう。ですがそれは自己犠牲ではなく、主体的に私が選択した結果でもあります。確かに大変は大変ですが、持病同様、一生をかけて付き合う問題として取り組んでいくことは間違いないのです。