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それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ

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それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ〜生命力イラストができるまで〜 ③

2018/10/11

バランスが崩れたものは

私にとって「絵を描く」という行為は息をするのと同じくらい自然なことです。昔はこれがお金になれば幸せだと思っていましたが、ぶっちゃけお金になろうが、なるまいが、描いてる瞬間はたまらない充実感があります。ですから、割と絵で稼ぐ、という事には頓着していません。

このブログで描いていきたいことは、私が絵で表現したいことを文章化したものです。絵で全てが伝えられたら問題ないんですが、文章を書く事も嫌いではないので、蛇足ではありますが、自分で作品や絵に込めた思いをこれからつらつら語っていこうと考えています。

さて、今回は愛憎の話です。基本、絵を描いたり、プロレス観に行ったりするのは「好きだから」出来ている部分は少なからずあります。しかし、自分の中で愛憎のバランスが崩れたものは自然にやらなくなったり、関わらなくなりました。正確には関わる事ができなくなってきたのです。

具体的にいうと、まちづくり関連だったり、人脈を広げたりといった活動です。昨年各種イベントに携わり、自分の主に健康面での限界を思い知らされたから、というのもあります。

概ね愛より憎が強いから

と同時に無駄に広げた人脈が自分の手に余る感じがしていて、今年後半は特に、異業種交流会みたいな会にはなるべく参加しないようにしています。

まあ、とは言っても誰とも会話しない生活は精神衛生上よくないので、週一ペースでランチ会に顔だしていますが、関わりになりたい時には関わるし、そうでない時は黙ってます。これもほどよくバランスが取れている事が大事ですね。

かつてやっていた事で今はしてないのは、概ね愛より憎が強いから、という理由もあります。憎というと大げさな表現になりますが、要は「続けたら自分がつらくなる。だから「やらない」という選択肢を選ぶ」という意味ですね。

これも、続けられる自信はあるけど、続けない選択ができるようになれたからこそ可能になりました。試しにやってみるという過程は一応通過してきましたので、これも「引き算」といえると私は考えます。

残された人生が仮に折り返し地点だとしても、体力的にも精神的にも今後はできることも限られてくるでしょう。そうなると、否が応でも引き算はされてくるわけです。

どんな好きな事でも

自分の好きなものには同じくらいの嫌いな点もあります。絵に関しては思い通りに描けない時は、やり続けても精神上よくありません。以前は何かやらないと生きていけない感覚がありましたが、今は何もせずにボーッとしている時間も苦にはなりません。

またプロレスに関して言えば、快楽以上の苦痛も散々味合わされました。これは詳しく話すとプロレスというジャンルの特異性を語らなければならず、しかも長くなるので、ここでは割愛します。簡単に纏めると、好きだからといって常時快楽が得られる保証はどこにもないわけです。

かつて私は自分の中の「憎」を否定していました。だから、いやな事でも長く続けられたのです。しかし、今は敢えて隠そうとはしていません。たとえ、それが今いる場所にも今関わっている人にも、自分の生きがいにしているもの対しても、です。

だから、今の私は描けない時は他のこともしますけど、時には「何もしない」という選択肢も行使できるわけです。

どんな好きな事でも、愛情だけでは続けられないし、憎しみだけでは疲れて折れてしまいます。こうして考えると、愛憎は常に裏表にあるほうが自分的にはしっくりきますね。

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