それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ〜生命力イラストができるまで〜 ⑥
2018/10/24
距離感音痴
私にとって「絵を描く」という行為は息をするのと同じくらい自然なことです。昔はこれがお金になれば幸せだと思っていましたが、ぶっちゃけお金になろうが、なるまいが、描いてる瞬間はたまらない充実感があります。ですから、割と絵で稼ぐ、という事には頓着していません。
このブログで描いていきたいことは、私が絵で表現したいことを文章化したものです。絵で全てが伝えられたら問題ないんですが、文章を書く事も嫌いではないので、蛇足ではありますが、自分で作品や絵に込めた思いをこれからつらつら語っていこうと考えています。
自分は他人との距離感をうまくつかめない人間です。まあ、創作をする人にはよくありがちな、いわゆる距離感音痴です。
だから今まではそんな自分をなおそうと必死で足掻いてきました。まあ、社会人として営業マンになったのもそのためだし、そこから仕事を変えて接客業を20年ばかり続けてきて、表向きだけは人当たりの良い自分になることができました。
これはある意味役には立っているので、無駄な事を続けてきた後悔はしていません。しかし、人当たりの良い自分になろうとらしていた時はとにかく辛かったわけです。
世間に必要とされるために
足掻けば足掻くほどどんどん苦しくなっていきましたし、努力する割に見返り(給料含めたいろんなもの)がどんどん目減りしていきました。
実はこの悪足掻きというのほつい最近までやっていました。自分が世間に必要とされるために、他人に評価軸を合わせて他人に求められる人材になろうと努力を続けてきたわけです。
しかし、残念ながらどれだけ人や世間に合わせてきても、実入りはなかったですし、私がやりたいこととはどんどん乖離していく結果になりました。
ある程度結果が出るのであれば「この道が自分のやるべきことだ」という使命感みたいなものも生まれてくるのですが、残念ながら、使命感も天職も今のところ現れていません。
ですから、ある瞬間から一切足掻くのをやめてみたわけです。すると、数字では何の変化もなかったのですが、私の内面にちょっとした変化が訪れたのです。
それが自分が楽になった、という事だったわけです。ただ距離感音痴の自分を受け入れただけなんですけどね。でも他人の価値観に身をまかせるより、自分の価値観を大切に生きていく大切さをこれでようやく腹落ちして理解できたのです。
そこにいるだけでいい
基本、私は単独行動を好みますし、1人でいる時間も苦にはなりません。むしろ大勢の中にいて何か喋らないといけない状況が苦しくて仕方ない時期もありました。
しかし、この苦しさの原因が「人に合わせるために悪足掻きしていた」事に気付いてからは、ことさら場の空気とか、他人の歓心に興味がなくなりました。ですから、パーティや会食の席で他人と会話してもしなくても大して気にならなくなりました。
私の目標としているところは「そこにいるだけでいい」存在ですが、「いて当たり前」にはなりたくないので、そのさじ加減が難しいですね。空気はそこにあるだけで価値がありますが、存在が空気になると、それはそれで困るわけです。
今までは自ら空気になることを望んで生きてきた節もありますが、これからは少し自分をアピールできるようになりたいな、と考えています。