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それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ

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それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ〜生命力イラストができるまで〜 ④

怒られた記憶がない

私にとって「絵を描く」という行為は息をするのと同じくらい自然なことです。昔はこれがお金になれば幸せだと思っていましたが、ぶっちゃけお金になろうが、なるまいが、描いてる瞬間はたまらない充実感があります。ですから、割と絵で稼ぐ、という事には頓着していません。

このブログで描いていきたいことは、私が絵で表現したいことを文章化したものです。絵で全てが伝えられたら問題ないんですが、文章を書く事も嫌いではないので、蛇足ではありますが、自分で作品や絵に込めた思いをこれからつらつら語っていこうと考えています。

基本、多趣味と呼ばれる私が好きなことと言うのは、大概どれも幼少期から継続して行っているものがほとんどなのですが、中でも絵を描くという行為は、物心ついた時からすでになんらかの落書きをしていた覚えがあります。

一番古い記憶では、家のタンスやこたつにまで落書きしていた記憶があるのですが、取り分け厳しいうちの両親が、絵に関しては怒られた記憶がないのです。

多分、鉛筆を握ってさえいれば大人しくて手がかからないというのが、怒られなかった理由かもしれません。

好きな事では稼げない

しかしながら、好きなことを仕事にするという点では頑として反対してました。まあ、今でも私の中に根強くこびりついている「好きな事では稼げない」という思い込みは間違いなく、この時代の両親から私が取り込んだものです。

とは言っても今の私は両親の事を特別恨んでいるわけではありません。私が今なお思い込みを手放さないなんらかの理由があり、それを守っているのも私自身だからです。

そもそも私は人と交流するのはそんなに好きではありません。長きに渡る社畜時代を経て、交流スキルだけは身につきましたが、芯から人とガッツリ交わるのは好まないため、どちらかというと寡黙な日常を貫いて生活しています。

社畜時代のことは、カウンセリングブログ時代に散々書いてきましたが、結局自分が望まないライフスタイルを、無理して続けてきた結果、心身ともに動けなくなりました。

それまでにも命を危険に晒したことは幾度となくあるわけですが、ブログのタイトル通り「それでも生きながらえてしまった」私は、結局未だに生き続けてイラストも描き続けています。

手に入れられなかった感覚

しかし、社畜時代の終焉を迎えて寝たきりになった2年間は絵も描けず、アニメやプロレスも見られず、という生活を送っていましたので、私的には人生で一番キツイ2年間でした。それを思うと、ふつうに絵が描けている日常が今現在、こうして過ごせていられるのは、奇跡のような気がします。

絵を描く事を仕事にしようとしていた時は、何か身体中に力が入っていて、リラックスしているようで、何処か力んでいたような気がしていました。

今は積極的にお金を絡めようとしていないため、絵を描く時もヨガに近い感覚でリラックスしていられます。これは自分が手に入れたくても入れられなかった感覚でした。

無職の人間が無色でないイラストを描くにあたり、生命力イラストというものを立ち上げて活動していますが、これは私が七転八倒して生きながらえてきた「生命力」が絵にも宿っているという意味合いで名付けたものです。

そんなに深く考えてつけたわけではないのですが、深く考えていなかったからこそしっくりきたのかもしれません。私自身、絵のスタイルは年と共に変化していくとは考えてますけど、根底にあるものは変わらない。そんな気がしますね。

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