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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(201)私がギャンブルをしないいくつかの理由(1)

2018/06/05

公然の秘密

このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。

さて、この「○○をしない」シリーズは二か月あまり当ブログを休んでいる際に浮上してきた比較的軽めの問題を扱います。というか、いちいち理由を口頭で説明するのが面倒になったので、「詳しくはブログ読んで」というために書くようなものです。

同じ説明を何度もするのって時と場合によっては本当に鬱陶しくなることもありましたので、いわば自衛のために書いているものだとお思いください。

そこで一発目は、私が越して来た北九州では大変盛んなギャンブルを題材にします。盛んといっても、公営ギャンブル(競輪・競馬・競艇)がコンプリートされているだけ、というのが昨今の実状でしょう。特に競輪のおこなわれているメディアドームなんて、中入ると閑散としてますからね。あの入りだと民営だったら倒産案件ものでしょう。

しかし、私が子どもの時分というのは、現在のメディアドーム界隈には怖くてちかづけませをんでした。今もそうですが、怖い系の事務所が公営ギャンブル場の近くにあるというのは公然の秘密で、それは子どもでも薄々知っていたくらいでしたから、そりゃ近づきたくはないですよね。

幸か不幸かプロレスファンになってからは、近隣の小倉北体育館に行く頻度が増えてしまいました。小倉北体育館に行くには、その物騒な小倉競輪場の横を通らざるを得ないのですが、それはもう陰鬱な気分で横切っていっていったものでした。

 惨憺たる想い出

忘れられない想い出としてはこういうこともありました。プロレスを見に行くため急いでメディアドーム横を小走りに急いでいた時のことです。

反対側の歩道近くに、警察の護送車量が何台もとまっていました。よくよく見るとそこには個性的なファッションと髪型をした、見るからに「そっち系」の方々が手錠をしたまま、列をなして乗せられていくところだったのです。

結果、せっかく目当てのプロレスを見に行くため、テンションも上がり切っていたのに、この光景を目撃したおかげで、テンションはだだ下がり。プロレスが終わっても試合内容すら思い出せないという惨憺たる観戦になったことだけは未だに忘れられません。

もうひとつ、ギャンブルにまつわる思い出をお話ししましょう。今度は下関でのお話です。私は高2の時に現在の実家に引っ越しまして、そこから学校までは電車通学をしていました。最寄駅の近くには現在も競艇場が存在しますが、約40年前はギャンブル全盛の末期とも言えるころでした。

ちょうど下校時の電車が最寄り駅に着くタイミングというのが、レースが終わった直後と重なっており、最寄り駅のホームには小汚い格好と臭い息をした灰色のオッさん集団が大挙して電車を待ち構えていました。

当然、このおっさんたちは降りる人優先とかいう発想自体ありませんから、我先にと乗車口に突撃してきます。ぼやぼやしていると我々は電車から降りられなくなるので、慣れてくると喧嘩腰でおっさんどもにタックルしながら、時にはラリアットをかましながら、電車をおりていました。

まあ実際は私が攻撃したというより、おっさんたちが勝手にぶつかって、勝手に技をくらってダメージを負ったというだけの話で、しかも誰がやったかなんてあのどさくさの中ではわからなかったでしょう。私もピンポイントで誰かを狙ったわけでもないので、これはどうしようもなかったということになります。

で、電車をおりてバスに乗り換える道すがらに、またしても嫌なものを目にするのです。それは、おっさんたちが食い散らかした手羽先のカスがそこら中に投げ捨てられているという駅前の荒廃した光景でした。

それはもう阿鼻叫喚の地獄絵図といっても過言ではないと思います。ちなみに現在は手羽先を焼いていたお店も廃業され、駅前もきれいに整備されてしまったので、当時の面影はかけらもありません。

 嫌悪感の上積み

当然、公営ギャンブル自体もすたれてしまっているので、まず乗降者自体がいませんし、ギャンブル帰りの客も本当に少数派なんで、数の暴力に訴えたくてもできないというのが実情でしょう。

高校生だった私は。あまりにこの光景が嫌すぎて、途中からJRを使わず、バス通学に切り替えました。バスの場合、競艇場から専用送迎バスがでていたので、一般バスには乗ってきませんでした。ですので、JRと違い灰色のおっさん軍団とかち合うこともなく、平和なものでした。

先ほど、小倉競輪場の近所にはその筋の人が多いという話をしましたが、実は下関競艇場の近くにもかつては組事務所が普通にありましたし、マイカーを質に入れて金を工面する会社もたくさんありました。

しかし、国道の幅員拡張に伴って事務所も立ち退きになり、今では見る影もありません。すっかり明るい国道沿いに変貌した現在の光景からでは到底想像もできないことでしょうね。

とまあこのように、ギャンブルに対するネガティブな体験談は腐るほどあるため、次第にギャンブルというものに対しての嫌悪感が、私の中でどんどん上積みされていったわけです。そのほとんどが多感だったティーンエイジのころに体験したものだったために、私の中で「ギャンブルが嫌い」という信念が強化されてしまい、現在に至っているわけです。

でも、これが日常生活を送る上で阻害されているようだったらカウンセリング案件になるんでしょうけど、ギャンブルってやらなきゃやらなくてもいいものですから、特別この信念を変える必要が私にはないわけです。

ですから、今でも私はギャンブルには一切かかわらないようにしているのです。別に誘惑を我慢してストイックにしているわけでもないんですよね。これは声を大にしていっておきたいところなのです。

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