怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(199) 自分の問題と向き合うための10の闘い(99) 自分が楽に生きるには?➈
忙しくさせてもらっている?
人さまから「最近どうですか?」とあいさつ代わりに聞かれたとき、あなたならどう答えますか?関西圏には「ぼちぼち」という絶妙な言葉があるおかげで、そう困らないのではないかと私は思っています。でも私は関西人ではないので、今までなかなか適当な言葉が見つからないでいました。
「おかげさまで忙しくさせていだただいてます」とかいう定型文的な挨拶もなくはないのですが、これは自分の中で、相当違和感があったんですね。忙しい方がまるで絶対正義みたいな生き方って果たして本当に楽な生き方なんでしょうか?今回はその話をしてみようと思います。
「暇」という漢字は「ひま」だけではなく、「いとま」とも読みます。いとまとは、「その時まで続く事柄を断ち切り、そこから離れた状態」を意味するそうです。
「忙」の方がしっくりくる?
逆に「忙」という漢字には「状況の移り変わりが激しく、安定しない」意味もあるそうです。こう考えると、私の20年のサラリーマン時代はまさに「忙」の時期だったことがわかりますね。今の私は手隙の状態である「ひま」ではなく「いとま」の時間を漂っているともいえます。
カウンセラーというのはクライエントに寄り添いつつ第三者の視点で見ることが要求されますので、自身が移り変わりの激しいようではいけないと私は考えます。クライエント自らが問題になっている事柄を断ち切って、離れた状態になることが問題解決といえるならば、ゴールは「忙」より「暇」の方がよさげに思えるのです。
でも定型文のあいさつにある「忙しくさせてもらってます」というのは、よく考えていると本当に奇妙なものの言い方です。私なんかは「楽して商売繁盛」するにがベストだと思っているので、ひたすら働かない方向に舵を切って生活していますが、おそらく汗水かいて一生懸命働くのが美徳ということが刷り込まれすぎている日本人には「忙」の状態がしっくりくるのでしょう。
楽しいより「楽」に
私がいるコワーキングスペースには基本「忙」の人たちが多いなあと思ってみています。まあ、本人が好きでやっている分は特に止める理由もないし、私には関係ないことなんで放っています。彼らは基本楽しそうなんだけど、なぜか私はああはなりたくないと思っていることが多いのです。それはなぜでしょうか?
実は「楽しい」と「楽」っていうのも似ているようでちょっと違うんですよね。「楽」が「こころよい。身も心も安らかで苦しみがない」という意味ならいいんですけど、「生計が豊かなこと」を楽だと思っているのであれば、少し違うのではないかと思うのです。生計を豊かにするために「しなければならないこと」をしているのであれば、それは「楽」とは少し違う方向にいっていないか?最近私はそう思うことが多くなりました。
この記事のテーマである「楽に生きる」というのは、まさに苦しみのない安らかな状態を目指している意味を込めてつけました。そして削れるのであれば「しなければならないこと」は減らしていけたらいいなと思っています。間違っても「忙」殺されていた社畜時代にUターンしないためにも、ね。