怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(190) 自分の問題と向き合うための10の闘い(90) 残された時間⑩
介護と老後
限られた時間で私がどうしても向き合わなければならないのは、やはり介護問題と、自分自身の老後についてです。最近では終活という言葉もできてますが、それを含めた長期的スパンで、今回は考えてみたいと思います。
昨今の小室哲哉さんの引退報道をみていて、現役介護中の人間の胸には様々なものが去来したのではないでしょうか?
一連の報道をみて、残された時間で自分ができることは何か?を真剣に考えてみました。
小室さんほどの著名人でもやはり一人の人間です。いつ果てるかわからない毎日を過ごしていると、自分が自分でなくなりそうな感覚に襲われることがあります。
選択肢は多くない
私の場合は老老介護予備軍という形で、比較的頼りにできる公的機関もあり、別居という方向性に舵をきることができました。お金はありませんが、家族もないため、独り身で動けるメリットもあります。
しかし、若くしてパートナーが発症したとかいう場合、私のような選択肢はそう多くはないでしょう。ましてや有名人ともなれば簡単に第三者に頼るのも難しいでしょう。
とはいえ、無名人でも日本という社会は他人に頼ることを潔しとしません。だから誰にも相談できずに、鬱屈を溜め込んだ結果、犯罪という形で爆発することもあるのではないか、と私は思っています。
脱・自己責任
それは多分誰も幸せにならないし、望まないバッドエンディングでしょう。最悪の形を防ぐ意味でも、困ったら誰かに頼っていいんだ、という世界にしたいし、「脱・自己責任」を目指してまず自分自身が変わっていく必要があるわけです。
とはいえ、この世の中がいきなり「だれかに頼っていい」人ばかりになるとはどうしても考えにくいのも事実です。自分で言っておいてなんですが、「脱・自己責任」なんてぶっちゃけ机上の空論なんじゃないか、と思うことさえあります。
でも、やはり全ての責任が一人に被せられるというのはどう考えてもおかしいし、それが法に触れていなければなおさらのこと。そこだけでもせめて緩んでいけたなら、巡り巡って私の人生も楽になる気はしているので、やはり目指すべきは、過剰な自己責任論と戦って、そこから脱却していくところになるでしょう。
それがたとえ絵に描いた餅だとしても。