怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(188) 自分の問題と向き合うための10の闘い(88) 残された時間⑧
夢に出てくる日々
実家からの独立を決める前に、ずっと同じような夢をみておりました。今回はその夢の話をしたいと思います。
私は大学時代の4年間、広島に住んでおりました。しかしながら、仲の良い友達は地元に帰ることになり、広島にこれといって親しい人脈もなかった私は、卒業後の進路を決めかねておりました。
結局、実家に戻って就職するわけですが、当然下宿は引き払うことになります。夢にでてくるというのは、この実家に戻る際の引越しの場面なのです。
実は地元に帰るか、絵描きの仕事を探して上京するか、真剣に悩んではいたのです。しかし、主にアニメ方面で取り寄せた資料によると、とても生活するだけのお金は稼げないということはわかりました。稼ぐというよりどっちかというとお金を払って、技能を学ぶという感じでしたから、これ以上親に学費をねだるのも気が引けてました。
色々悩んだあげく
色々悩んだあげく、やりたくない仕事で稼いだお金を使って、好きなことをするという選択肢を選んだことで、私は帰郷することになりました。この時も本心では独立を望みながら、結局自分の意に反する選択をしたことで、さながら都落ちのような気分で荷造りしていたことを覚えています。
夢に出てくる場面というのが、まさにこの「都落ち」の感覚とセットになっていて、見るたびにいやな気分で目を覚ますことがよくあったわけです。
冷静に考えたら、私がかつて目指していたアニメ業界は現実食うや食わずやという生活を強いられるという点では、30年前も今もあまり変わりないように思います。仮にあの時上京を決断していたとしても、どこかのタイミングで力尽きて、都落ちしていた可能性は考えられるのです。
24時間を自分だけのために
とはいえ、帰郷した人生がベストな選択だったかどうかということを考えると、これまたそうではないわけです。心身ともに壊しましたし、両親との軋轢は年々深まるばかりで、年を追うごとに息苦しさは増していきました。ましてや介護が始まったあたりから両親のわがままは加速度的にひどくなっていきました。こうなるともはや我慢の限界を超えていったのです。
このように、広島の下宿を引き払って下関に帰った決断も30年経てば、不都合もでてきます。もともと一人暮らしに関してはよい思い出しかありません。実は一人暮らし時代のことも、こちらはよい夢として度々脳裏にうかんできます。
今にして思うと、学生時代は24時間を自分のためだけに使うことができました。それが再びできるなんて、なんて贅沢なことでしょう。そう思うと貯蓄を切り崩すというネガティヴな要因より、自分が過ごしやすい人生を送るポジティブなイメージの方が、ずっと強くなっているのです。