怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(164) 自分の問題と向き合うための10の闘い(54) 50にして知る天命とは何か?④
意外と面倒くさい「本人証明」
前回老いの話をしたばかりなんですが、今回もその続きです。実は私よくモノをなくします。これは若いころからそうなんで、実をいうと老いはあまり関係ありません。しかもいったんなくすとまずでてこないので、余計にへこむわけです。
先日もメガネ、カードケースなどをなくしてしまいました。ことにカードケースには、免許証、クレカ、キャッシュカード、国民健康保険証、カードキーなどなどがまとめて入っており、とりあえずクレカとキャッシュカードは即座に止めてもらいました。
運転免許証も実は失くす前に更新時期が来ていたため、先に更新手続きを完了させておりました。当然遺失物届けも出しましたし、出来ることはしたせいか、幸いカード類から引き出された形跡もなく、まさに不幸中の幸いという形になりました。
しかしながら、各種カードなどの再発行で非常に面倒くさい目にあいました。これには正直辟易しましたね。その度にネックになったのが身分証明の問題でした。
日本において、運転免許証、健康保険証、診察券(データ読み込み式のもの)、印鑑がないと本人証明ができないということを、今回の件で思い知らされたわけです。本当は指紋認証や、筆跡で証明できるはずのものがこうした携帯物がないとできないというのは、非常に歯がゆくもどかしく感じました。
自分を責めないことはできたけれど・・・
なまじ普段、免許証で身分証明する癖がついていると、普段使いもしないマイナンバーカードが家のどこにあるかもわからず、つくづく備えは大事だなと痛感させられました。とはいえ、保険証の再発行には預金通帳でもいいとか、身分証明にも時折「抜け穴」があるんだな、ということも勉強にもなりました。
よくこういうことをやらかすと「自分を責めたりしませんか?」といわれます。確かに割と最近までは自分を責めていました。しかし長年にわたるカウンセリングの経験や、ヨガの効果もあって、昔ほど自分を否定する感覚はなかったのです。今回の一番の収穫といってもいいかもしれません。
ですけど、身分証明書等をなくすと実務的に非常に面倒なのは変わりないわけで、そこはやはりどうしても疲労の原因にはなってます。多分今月が終わるまでは、仕事とともにこの一件で忙殺されそうな気がしています。
なくさなければ体験しなかった手間暇ですが、すごく勉強になる反面、虚無感みたいなものを感じて疲弊しているなあというのが実感です。やらかしたことは過去に戻ってやりなおすことはできませんが、できることならなくした日に戻ってやりなおしたいくらいです。
過去と他人は変えられないということは頭では理解しているんですが、できることなら時間を巻き戻したいというのも偽らざる気持ちですね。