怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(162) 自分の問題と向き合うための10の闘い(52) 50にして知る天命とは何か?②
やりたいことを明確化するための「企画書」
長い社畜時代を過ごして心身ともに著しいダメージを負った反省から、私は多忙な時ほど、自分のやりたいことを明確化する必要性に駆られることが多々あります。そこで先日、「自分の企画書」というものを書いてみました。
企画書というものはそもそもA4の紙一枚で伝わるように作るものという教えをうけているのですが、私が作るとなんだかセルフカウンセリングシートみたいになっていて我ながら笑ってしまいました。
しかし、カウンセリングを受け続けていた時代には、自分が何をしたくてどうなりたいか、ということが全く浮かんできませんでした。
そこからすると、こうしたシートを自分で書けるようになったということは、言語化できないまでも、自分にしたいことがあると言う認識だけは、はっきり抱いているような気がしています。突き詰めていくと、いずれ明らかになるかもしれませんね。
50で知る天命がピンとこない
ところで、
五十代には「五十にして四十九年の非を知る」という諺以外に「五十にして天命を知る」という言葉もあります。
五十にして天命を知るというのは、五十歳になって、天から与えられた自分の使命を悟るようになるということで、孔子が晩年に振り返って言ったんだそうです。この言葉は、
私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった(故事ことわざ辞典より抜粋)
という意味らしいです。
孔子の言うことを鵜呑みにすると、思うがままの人生を歩んでも人の道から外れずに生きていくには、あと20年くらいかかるらしいので、正直「あと20年も辛抱するのか」と気が遠くなってしまいそうなんですが、それ以前に十五で学問を志したこともなければ、学問の基礎さえできず、四十代になっても迷ってばかりだったので、50で知る天命とは何か?と問われても何もでてこなかったのです。
しかしながら、織田信長が言ったとされる人生50年というスパンは、長い人生においてさまざまなターニングポイントであることは間違いない事実ではないか、と思うのです。
信長の時代は50が一つのゴールでしたが、現代においては比較的長寿になる傾向があるため、50は多くの場合、通過点でしかありません。ですから、いきなり天命を知ると言われてもピンとこないんです。
「なりたい自分」が天命とイコールであるのかどうか?
では私が知る天命とは何なのでしょうか?孔子や信長のような歴史的偉人ではない凡人の私が知る天命ですから、それほど大したことではないのかもしれません。
ですけど、50過ぎて今までやりたいと思いながら、やらずに過ごしてきたことに仕事として着手し始める機会に恵まれてくると、なんとなくですが、自分の天命のような気がしてくるから不思議です。
冒頭に書いた「私がしたいこと」あるいは「なりたい自分」が天命というものとイコールであるのかどうかは、今のところはっきりとはわかりかねます。しかし、やりたいことを実現させていく道の先に天命があるかもしれないと考えると、迷ったり怯えたりする前になんかワクワクしてくるんですよね。
それは凄く自分の人生を生きている感じがするし、何よりも楽しく感じています。
ですから、その感覚を感じているうちに、仕事に忙殺される前に、今一度ふりかえって自分のやりたいことや、なりたい自分像を確かめておくのは必要なんじゃないか、と思えたのです。最初から明確になりたい自分像を持っている人には必要のない作業なんですが、人生の迷い子という自覚ならは人一倍あるわたしには面倒だけど、必要な振り返り作業なんですね。