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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(153) 自分の問題と向き合うための10の闘い(43)私は誰の人生を生きているのか?③

2017/07/30

両親が求めてきた役割

自分の人生をいきていない感覚の大元は私の両親が関係しています。私の両親は私に色んな役割を求めてきました。具体的には

①長男として家を継ぐ役割
②結婚して家系を絶やさない役割
③親の面倒をみる役割

の三つです。

実はこの三つとも父親が実際にやって生きてきたことで、しかも何の疑いもなく、続けてきたことです。そして、その役割を私にも求めてきたわけです。

しかし、親の言われたことをそのまま私が受け継いで生きていくと、それこそ誰の人生を歩んでいるのかわからなくなります。

そもそもなぜ自分が家をつがなければならないのか?それは果たして自分のためになるのか?などなど疑問は尽きないわけです。しかし、私にはそれを両親に問いただす勇気がありませんでした。

私はどう生きたかったのか?

では、私がどう生きたかったかというと、

①絵を描いて生きたい
②プロレスやアニメや自分の好きなことだけして生きたい
③嫌なことはしたくない

とまあ、こんな具合に両親が求めてくるものとは真逆なわけです。しかしながら、昔の私には親に逆らうだけの気持ちがありませんでした。

私の両親は、何せ気に入らないことがあると、すぐ大声で怒鳴りあったりするので、そもそも怖くて逆らえませんでした。

しかし、私は、怒られようが何をしようが、自分の人生を第一に考えなかったばかりに、親の願いと自分の願いをすり合わせる形で生きようとしてきました。

その結果、親が求めてくることは何も出来ず、自分のやりたいことも出来ていない中途半端な生き方を自らに強いてきたのです。

どちらにもいい顔をしようとしてどちらも並び立たなくなってしまったのです。皮肉な話ですね。

タイミングを待つ

本当は親を含めた第三者から何を言われようと、自分の好きなように生きることが一番大切なはずなんですが、自分の人生を大事にしていないと、おかしなところで妥協してしまうわけです。

とはいえ、好きなことが好きなようにできるにはある程度タイミングを待たないといけない場合もあります。頑なに自分の好きに生きることに固執するのも、かえって自分のためにはならないかもしれなない、と私は思います。

最近になってやっと私のしたい①〜③が形になりつつある実感があります。となると、タイミングが合うまでは、約半世紀あまりの時間が必要だったということになります。

であるならば、それまでの間に自分がしてきたことは必ずしも無駄ではないともいえます。

私は今、すり合わせに割いた時間も試行錯誤の期間と考えるならば、ネガティヴな意味合いばかりがあるわけではなさそうだな、という気がしているのです。











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