怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(138) 自分の問題と向き合うための10の闘い(28) 働かざるもの食うべからず⑧
一番最初に就職した会社では新人研修というものがありました。まあ昭和の時代のお話ですから、企業も人材育成にはそれなりのお金と時間をかけていたわけです。
研修の中で教官に言われた一言をつい最近ふと思い出したので、今回はその話をしてみようと思います。
その一言というのが「彼女はいるか?」というものでした。しかし私は当時も今も彼女がいませんし、いわゆるパートナーを作るという意識が完全に欠落している人間です。正直教官が何を言っているのかわからなかったのです。
あとあと考えてみると、「彼女や奥さんがいることで、養うためにより一生懸命働くだろう」という思惑でいわれたのかもしれません。なんせ昭和の時代ですからね。しかしその割には会社は8年で私に見切りをつけたので、つくづくあの時焦って結婚しないでよかったなと思ってます。
働くということは、遊びの延長線上にあると、今の私は考えています。ということは、昔の私はそう考えてはいなかったことになりますね。では昔の私はどう考えていたかというと、働くこと=耐えることでした。
実は結婚にも同じネガティブイメージをもっていて、私の中では結婚=耐えることであり続けてます。
ただ耐えるだけでは続きませんので、なんか旨味があれば働いていけたし、お相手さがして結婚もしていたのでしょう。ちなみに昔から私は得たお金はを、全て遊びに注ぎ込んでいました。いやな仕事もそうして自分の中でバランスをとることで、乗り越えることができたのです。
しかし、それは身体と精神が耐えられたらの話で、耐えられなくなったらその時点で、仕事は続けられなくなるわけです。
身体と精神が苦行に耐えられなくなると、人間というのは面白いくらい何もできなくなります。心身が全く動かなくなるのです。たぶんそこに自分と異なる人間と住むというストレスを抱えていたら、私は今この世にいなかったかもしれません。
だから働くとか結婚とか彼女(パートナー)を作るとかそういうどうでもいいことに絶対的価値観を見出している人とは実をいうと口もききたくないのです。これは価値観の相違というより、もっとシンプルに関わり合いになりたくないからだけなのです。