怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(128) 自分の問題と向き合うための10の闘い(18) 死にたい感覚⑧
私は人にSOSを出すことが、今でも苦手です。苦手にしているとどういうことになるか?自分が助けを必要としていても、私が黙っている限り、あなたが助けてくれることは、まずないのです。
しかしそれは当然の話なのです。なぜならあなたはあなたであって私ではないからです。あなたと私は違う人間ですから、私が仮に困り果てていたとしても、よほどあなたが私のことをしっかり観察していない限り、私が窮地に立っていても、あなたが気がつくことはないでしょう。
そして、私は更に人に迷惑をかけてはいけないというとても強い信念を持っているので、仮にあなたが私のことを注意深く観察していたとしても、私がわかりやすく「困り果てている」ようには見えないでしょう。
仮にあなたが私の窮地に気がついたとしましょう。
「お困りですか?」とあなたが尋ねてきても、きっと私は、
「大丈夫です。ご心配なく!」と答えるでしょうね。
私の様子があからさまに顔色が悪いとか、ふらついていたら、強引にでも周囲が休ませるかもしれません。しかし、私は非常に我慢強いあめ、ことさら普通に振る舞うことに関しては、絶対の自信があるくらい、外側に異常をわからなくすることができます。
ではなぜ私はそこまでしてしまうのでしょうか?それは「自分のことは自分に責任がある」という自己責任のバイアス(偏り)がかかりすぎていることが考えられます。
しかし、自己責任論は現代日本では、もはや一般化しすぎているため、私だけではなく「人に迷惑をかけてはいけない」という信念を持って生きている方は多いのではないかと思います。
でなければ、これほど孤独死や、生活保護が社会問題として話題にはならないでしょう。
では、この問題を解決するためにはどうしたらよいのでしょうか?今行われている取り組みとしてみられるのは、「困った人がSOSをだしやすくする。相談しやすくする」というものがありますが、正直掛け声ばかりで、実態が伴っているとはいいがたいように、私にはみえるのです。
さりとてきめ細やかな声がけや観察で、SOSを発見するやり方には限界もあります。私はこの2つにプラス、「自己責任論偏重の考え方を緩める」ことも必要ではないかと考えています。
相談が必要な当事者はもちろん、世間全般に蔓延する自己責任論のバイアスを、少し緩める方向に向かわせるだけでも、かなりちがう結果になりそうに思うのです。もちろん簡単にできることではありませんが、私は単純に状況を整備するだけでは、問題は解決しないのではないかと思うのです。
しかし、対世間ということになると、相手がデカすぎるので、そう簡単にはいかないでしょう。でも行き過ぎた自己責任論はいずれあなたの首をしめるかもしれません。こうした形で私の意見を発信することも必要なことではないか、とも考えているのです。